wikipediaのカール・レーマンによれば、
1867年1月、カール・レーマンは会津藩と撃針銃の取引のため、
藩士・山本覚馬や中沢帯刀とともにまだ外国人の遊歩が禁じられていた兵庫に急病と偽って上陸。
藩家老・田中玄清に撃針銃(ツンナール銃)の見本を提出し、5月4日、1,300挺(うち300挺は桑名藩の分)の小銃の注文を受け、
日本に在庫のあった300挺を引き渡した