IHIの技術者ができるといっても当時の防衛庁は信じてなかったでしょうね
更にエンジンと機体の同時開発に反対だったのは間違いないです
FSXがエンジン以外は国産可能との結論が出たのは1985年のことであり
XF3-IHI-400が完成したのは1990年以降ですから間に合わないと判定されたのも仕方ないでしょう

エンジン開発が不可というのは技術的に永久にできないという意味ではなく
FSX開発にはスケジュール的に間に合わないという意味
後にこれを曲解して日本にエンジン開発は出来ないと決めつけたバカも出てきたりした

そういう教訓から今回のF-Xではエンジン開発を十分先行させるという航空機開発のセオリー通りの開発計画になった
XF9-1の試験結果は国内技術への懐疑的な声を大幅に小さくすることに成功している
何だかんだいってF-2の運用実績やX-2実証機の成果も大きく貢献したのは間違いない
実質的にはF-15に代わる主力機としての開発でも外国機を推す声は目立たないものになっていた
それはFSX選定当時よりも遙かに国内技術への信頼が高まったからだ