国家安全保障政策/国家戦略研究スレッドPart2

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2019/05/28(火) 20:17:15.39ID:6xOEVx5m
我国の繁栄と安全を守る国家安全保障政策とこれを実現する国家戦略を研究・提案するスレッドです。

○国家安全保障政策とは
国家の独立と繁栄を維持するために、主に軍事的な脅威などから国家を守る政策。国家は多様な価値観を包含しており政策は必ずしも他の政策・党派と整合するものではない。

○国家戦略とは
国家目的を遂行する最高位の観点から、平戦両時に政治・軍事・経済等の国力を効果的に運用する統一的・総合的・全般的な戦略。安全保障政策を上位構造とするが、政策上の不整合は国家戦略により統合が図られる。階層構造下位の戦域戦略、作戦、戦術の準拠となる。

○戦略の位相
国家戦略を構成する全ての位相(軍事・経済・文化・社会・科学技術etc.)を議論の対象としますが軍事を主たる切り口とし、それ以外の議論は50レスを越える場合は専門スレッドへの移動をお願いします。

「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」

○戦略の階層構造
戦略を構成する全ての階層構造(世界観・政策・国家戦略・戦域戦略・作戦・戦術・技術)を議論の対象としますが、作戦次元以下の議論は50レスを越える場合は専門スレッドへの移動をお願いします。

「本質はdetailにこそ宿る。それは栄光無きものに非ず。」

○戦略と戦史
戦略とは一般的な法則が成り立つような分野ではなく、戦史において淘汰される複雑系・非線形・進化的なプロセスです。議論の根拠たり得る戦史上の事象(古代・中世・近世・近代・現代)を議論の対象とします。

○当スレッドのスタンスと地誌について
当スレッドは明らかにネット右翼(ネトウヨ)スレッドです。対象脅威を尊称で奉る趣味はございません。戦史・兵要地史の一貫性のため歴史的な略称(支那・北朝鮮・南朝鮮・米・英・仏・露・独他)を推称します。

○戦略思想家の格付け
●神様リスト
クラウゼヴィッツ、モルトケ、コーベット、リデル・ハート、マイケル・ハワード、J.C.ワイリー、エドワード・ルトワック、コリン・グレイ
●疫病神リスト
ジョミニ、フォッシュ、フラー、マハン、ドゥーエ、ハマン・カーン、バーナード・ブロディ、クレフェルト、ミアシャイマー

「勝利は既に(戦略次元で)確定している。卿らの上に大神オーディンの(作戦次元以下の)恩寵あらんことを。」

過去スレ:
国家安全保障政策/国家戦略研究スレッド
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/army/1535374656/l50
759JTAC
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2019/11/23(土) 14:13:30.05ID:r24r1IpY
2016年のGSOMIA締結のときも、時の南朝鮮・パク・クネ政権はこれを人質に追軍売春婦への賠償金を要求してきた。
当時の米国のオバマ政権は、朝鮮サイドに立ち、日本に圧力をかけて無理矢理払わせた。

端的に言えば、当時の日本はアメリカとアライアンス(価値観を共有する同盟)を組んではいなかった。
そういうことになりましょう。
760JTAC
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2019/11/23(土) 14:30:03.67ID:r24r1IpY
時間が経過し、2019年の現在。
戦略環境が大きく変わった(米国と支那の対立が決定的になった)のはありましょう。

が、今回の米国の動きで大きかったのは、最大の触れ幅として「南朝鮮との同盟を破棄するリスク」を犯しても「日本サイド」に立った。

ここから言えるのは米-南朝鮮同盟が「アライアンス」→「コアリージョン」に退行し、
米-日本同盟が「コアリージョン」→「アライアンス」に変化「しつつある」。
あくまで「しつつある」。
限定的な集団的自衛権でしかないですからね。

ここでいう「同盟」とは「何とか条約」みたいな形式的な話ではなく、
ルトワック兵学でいう「実質的」「本質的」なものの話です。
「ともに戦う」ということです。

今回のGSOMIA騒動を「観測」できたことで、今の西太平洋の国際関係がそうなっているのが「事実として分かった」。
興味深い。
761JTAC
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2019/11/23(土) 14:34:09.46ID:r24r1IpY
「アライアンス」と「コアリージョン」の差異は、米統合軍のジョイントパブリケーションにも記載されてる。
公式な「同盟」の性質上の区分。
762JTAC
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2019/11/23(土) 14:50:28.15ID:r24r1IpY
日本語で「同盟」というと、比喩的な表現を除外すると、「国家間」に限定されてるように思う。
それも外務省的な形式的なニュアンスが強い。
そうであっては駄目ですね。

自分が一番始めに「アライアンス」という言葉に触れたのは、学生のときのUNIX系のOSの規格争いの講座。
必ずしも技術的に優れたOS勝つわけではなく、効果的な企業間の「アライアンス」を組んだOSが標準になる。
バリバリ理系、工学系分野ですが、OSの標準規格は「文学的なOSアライアンス史」でしか説明できない。
(ここテストに出ます、というか出た。)
非国家主体でも英語圏では公式に「アライアンス」という言葉を使う。
これは、今の日本に欠落した概念。

「同盟(アライアンス・コアリージョン)」の概念の深化、
個別的自衛権集団的自衛権、集団安全との関連についてさらに概念を取り込んでいく必要がある。
そこに鈍感だと安保や憲法議論は進まない。形式的な「同盟」ではこの先、生き残れなくなります。
763JTAC
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2019/11/23(土) 15:08:03.74ID:r24r1IpY
レアケースですが、仮にアメリカ本国が第3国の侵攻受けたとする。
そこで、同盟国として日本の自営業がアメリカ本国に最大戦速で急行して供に戦い死ぬ。
そのこと自体には心理的抵抗感は感じませんね。
逆に、そんな場合に同盟国を見棄てるのか?そんなことあり得るのか?

本国以外ではどっかで線引きが必要。中東やアフリカでの経済的な理由での侵略の片棒までは担げない。
そこが世界観の違いからくるアングロ・サクソンとのアライアンスの限界。
764JTAC
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2019/11/23(土) 15:27:47.57ID:r24r1IpY
楚漢春秋時代の楚に季布という将軍がいた。
極端に寡黙だったが
「黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず」
と言われ、盟約した事項は必ず実行した。
漢が勝利した後も例外的に漢帝国でも起用され重きをなした。

国家戦略のかなりの部分は「言葉に重みを持たせる」ことで成り立っている。
ロシアを率いるプーチンの言葉は軽くない。
プーチンが「○○はロシアの核心的利益だ」と言えば、
二回目に言及したときは既にロシアの領土になってる。
これが戦略というもの。
安易に言動を左右させる国は、戦略を駆使できません。
765JTAC
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2019/11/23(土) 23:36:32.17ID:r24r1IpY
・・などと、奇麗事を言いましたが。
正直一辺倒で勝てないのもまた戦略で。

同じく楚漢春秋時代の漢王・劉邦は、戦術的には楚王・項羽に劣っていましたが、
幇と呼ばれる結社を元に巧な同盟政策で韓信(元部下でしたが)他地方軍閥を取りこんでいった。

当初は劣勢でしたが、秦(支那)帝国の食料集積地であった敖倉を保持し持久戦略と同盟拡大あで盛り返していった。
広武山の対峙戦で漢も楚も疲弊し講和の運びになりましたが、
講和締結後に後退する楚軍の後背を、漢王・劉邦は、何と講和の舌の根も乾かぬ内に襲いました。
完全に騙し討ですw
史記を書いた司馬遷もさぞかし筆致に苦労したでしょう。

その後、紆余曲折ありますが、究極的には漢の優勢を見た地方軍閥は地滑り的に漢に組みし、
楚王項羽は垓下で包囲され、そのまま滅亡しました。
「四面楚歌」の元ネタです。
古代至上、最大クラスの騙し討でしょう。
しかも、戦後、韓信他功臣をも反す刀で根こそぎ抹殺した。

これにより漢帝国が成立し、その後、四百年繁栄しました。
まさに「死人に口無し」です。
766JTAC
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2019/11/24(日) 10:27:56.91ID:RGu5+RfH
「広武山における騙し討ち」を漢王に進言した幕僚は留侯・張良であると言われています。

張良は、孫子のプロトタイプ、太公望の「六韜」に通暁していたと言われ、まさにタオイズム(老荘思想、陰陽道)の権化です。
(後に神仙思想にもハマり食まで絶ってしまう重度のタオマニア)
基本的には広域同盟戦略や持久戦略等々、堅実で主君・劉邦の信義、威信を巧みに作り上げる戦略を進言してきましたが、
ここ一番でとんでもない騙し討ち、詭計を放ち漢の天下をもたらしました。
戦略的な矛盾をも循環的な世界観で包含するタオイズム。恐るべしです。

戦略上の「同盟」や「信義」は極めて大事ですが、
それは戦争によるパラダイムシフトを生きながらえる国家、勢力に対してのみ。
「消滅していく隣国」との信義なんぞ全く無意味であると。

「消滅していく隣国」との信義なんぞ全く無意味であると。
767JTAC
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2019/11/24(日) 22:42:33.21ID:kGQkiN86
「隣国=防波堤」論者に提言したいのは、日本が必要としているのは「防波堤」という機能であって「特定の隣国」ではありません。
素直に素直に彼らの世界観、政策、国家戦略を見るに「防波堤」にはなり得ません。
海軍まで増強してるしね。

今後の北京政権とアメリカとの対立を考慮すると、朝鮮半島の後背である「北部戦区」全体を調略して北京から切離し、
ハートランドからの「防波堤」とするくらいのスケール感で良いのではないか?

本来、北部の外港として一定のマリタイムパワーとしての経済的繁栄が約束されてるハズなのに
全て天津港-北京に吸い上げられ経済的不満が溜まっている。
さらに、底流には女真族(満州族)としての民族的プライドも垣間見られる。
(東北工程政策)

この戦略の実現可能性があるなら。
「消滅していく隣国」との信義なんぞ考慮の余地はありませんね。
朝鮮半島の始末は来るべき「北部政権」に委任します。
ご存分な成敗をと。
768JTAC
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2019/11/24(日) 22:52:46.75ID:kGQkiN86
支那北部戦区の陸軍兵力は25万。
彼らを北京から切り離せた場合、東西国境に置くであろう対ロシア、対支那の防衛戦力を考えると、仮に敵対しても対馬海峡越えの日本の脅威にまではならんと見ます。
人口動態から見ても大幅な増強は可能性薄い。
「防波堤」にはうってつけですよ。

目的や機能ベースで考えればこんなところではないでしょうか?
結局、旧満州帝国政策への回帰ですね。
2019/11/25(月) 01:19:37.50ID:LyaeWtm/
大英帝国時代のイギリスの対欧州政策の真髄は、海軍力に加えて大陸内に同盟国を獲得するにある。
ナポレオンのイベリア侵攻に際してはポルトガルと同盟うしてウェリントンを派遣。
トレス・ ベドラス防衛線でマッセナ等の侵攻を阻止。
さらにスペインゲリラと結んでフランス軍のLOSを脅かしていった。

さらに、ベルギー始めベネディクト三国、北ドイツの小国を束ねて同盟軍を結成。
勝手なことばっかりするこの連合を忍従につぐ忍従で統率しついにはワーテルローで勝利した。

海軍力と同盟、遠征軍。
海洋国家が大陸国を追い詰めるセオリーかと。
770JTAC
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2019/11/25(月) 21:11:47.21ID:LrlijP6v
香港の区議会選、民主派が地滑り的大勝 議席の約9割を獲得

https://www.cnn.co.jp/world/35145900.html

祝着。
それにしてもCNNかよ。
国内メディアはあまり報じないね。
771JTAC
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2019/11/26(火) 18:03:46.76ID:o83gqYK+
ADP3-0(2019.7)

https://armypubs.army.mil/ProductMaps/PubForm/Details.aspx?PUB_ID=1007357

七月にADPの「作戦」が更新されてたようですね。
マルドメの概念がジワジワ入っているようですが、内容はFM3-0(2017)に追随ってとこですか。
772JTAC
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2019/11/26(火) 18:31:59.95ID:FpgH+rwS
lage-scale combat operationの後にopration to consoligate gains(統合を得る?)が入ってきたのが目を引きます。
内容は、残存する敵対勢力の掃討と行政的な復興のようですが。
フェイズとして明確に示すことでイラク戦争の戦後処理の失敗は繰り返さないと?

「戦場を支配するのは疑いなく素晴らしいことだ。
だが「勝利を使用」するためにはより偉大な知恵と技量が必要だ。」(by ポリュビオス)
2019/11/27(水) 00:20:09.85ID:KvoU4SoY
統合を得るは流石にw
774JTAC
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2019/11/28(木) 00:11:00.81ID:twLY4WmA
「利益を確固たるものにする」?
いまいちやのう。

絵的には第一線戦闘部隊が制圧した地域を予備部隊で安定化していくイメージ。
775JTAC
垢版 |
2019/11/28(木) 00:18:59.51ID:twLY4WmA
そこで気づいたが、こいつらイラクで失敗した理由、全然反省してねえと。

リニアな作戦次元の手法では無理です。
サダム・フセインなきイラクは14世紀くらいの部族社会です。
あのくらいの「殺った」「殺られた」の部族抗争は「デフォルト」です。
各部族の特性をふまえた間接統治しかありません。
つまりは大戦略次元の考察が必要です。
776JTAC
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2019/11/28(木) 21:32:10.43ID:GBQwQepw
「香港人権・民主主義法」が成立 トランプ大統領が署名

https://article.auone.jp/detail/1/4/8/16_8_r_20191128_1574898261603798

やっと漕ぎ着けましたな。
777JTAC
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2019/11/28(木) 21:37:21.17ID:GBQwQepw
香港を埋め尽くす星条旗

https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190913002609_comm.jpg

其は星散りばめたる旗よ 永久に棚引け
778JTAC
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2019/11/30(土) 10:39:34.43ID:F3JJ4BUJ
我々が知ってる兵学とはどこから始まったのか?

当然、軍で脈々と研究はされてきましたが、scienceとしては微妙。
階級社会なので、いかなる優れた研究も上官が不採用なら終了です。
研究といえども「幕僚活動」でしかなく指揮官の(この場合は国防大臣か参謀総長の各種施策)決心をサポートするためにある。
また、そうあるべきだ。

学術性など二の次です。
779JTAC
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2019/11/30(土) 10:49:32.02ID:F3JJ4BUJ
が、社会としてはそれだけでは駄目で安全保障に関連する事項として「学術的」に「兵学(science of war)」を研究すべきです。

自由な研究とアカデミックな知的議論。
そのかわり常に鋭い批判にさらされる。こうしたクリティカルシンキングで兵学を発展させる。

その結果、軍人よりも軍事に詳しい兵学者が出現する。
「シビリアンコンロール」とは彼らの研究成果により、政治や国民が軍を知的に捩じ伏せることです。
2019/11/30(土) 10:58:02.33ID:F3JJ4BUJ
こうした学問(acience)としての兵学を確立したのがマイケル・ハワードということになりましょう。
世界で始めて大学に「戦争学部」を作った学者です。

この時できたロンドンキングスカレッジ戦争学部は、現代でも戦争研究の究極メッカの一つです。
781JTAC
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2019/11/30(土) 11:15:09.03ID:F3JJ4BUJ
逆に何故、イギリスで兵学が盛んになったか?

19-20世紀初頭。ヘゲモニックステイツとなった大英帝国。
しかし、その影で猟官運動の残滓もあり、軍人が世界水準において知的にアホになってしまいました。
モルトケのプロイセン参謀本部が確立した知的な戦争指導の流に完全に乗り遅れた。

ユトランド海戦を指揮したジェリコー提督の旗艦アイアン・デュークには、何と幕僚室がなかったという。
いったい、どうやって艦隊を指揮していたのか?

この恐るべき状況に危機感を抱いた学者達の必死な活動により、逆説的にイギリスで兵学は発展しました。
782JTAC
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2019/12/01(日) 19:26:09.77ID:Qx5xIhtZ
まず舞台になったのはオックスフォード大学です。

19世紀末。
ここの学生だったスペンサー・ウィルキンソンが欧州大陸を旅行中、
欧州各国軍の動向を記したパンフレットを読んだとこから兵学の時代は始りました。

パンフに書かれたイギリス陸軍のあまりの少なさに驚愕したウィルキンソンはイギリスの軍事常識に疑問を抱かざるを得なかった。
そして旅行中、当時興隆しつつあったプロイセン陸軍、参謀本部の文献を買い漁り、読み漁った。
そして、イギリスに帰るころには人生の決心がついていました。
祖国・イギリスのためこれを一生の仕事にしよう。
軍人になるには、やや年を取りすぎている。ならば、軍事を学術的に解明し祖国に貢献する。

まだ、大学に軍事関係が全く入っていない時代の話です。
783JTAC
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2019/12/01(日) 19:38:16.79ID:Qx5xIhtZ
スペンサー・ウィルキンソンはオックスフォードの心ある仲間とプロイセンドイツの兵学書を輪読することから始めました。
民間初の軍事ゼミナールであす。
さらにプロイセン・ドイツ作戦術の奥義であるウォーゲーム、兵棋演習を理解するため
「オックスフォード兵棋クラブ」を創立しました。

その後、スペンサー・ウィルキンソンは、長年の紆余曲折の末、
オックスフォードに初の兵学の講座を開設し、教授として赴任することになりました。
その際、次のような祝電が届いた。
「オックスフォード兵棋クラブ一同は創設者の就任に心からの祝意を表す。」
2019/12/01(日) 19:47:30.36ID:Qx5xIhtZ
WW1-WW2を通して、オックスフォード始めイギリスの学術界は、無能な軍首脳を支え連合軍の勝利に貢献しました。
レーダーの開発、オペレーションリサーチ、そして極めつけはアラン・チューリング(ケンブリッジですが)によるエニグマの解読。ウルトラ情報です。

当時のイギリスを馬鹿にしてたアメリカも、この凄まじい軍事科学の提供をちらつかされ、さすがに生唾を飲んだ。
そして、連合国側での参戦へと事は進んでいった。
785JTAC
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2019/12/01(日) 19:53:43.71ID:Qx5xIhtZ
戦後、オックスフォードには間接的アプローチ、さらには戦争をより総合的に考えようという「国家戦略」を提唱するリデル・ハートが主導をとり研究を深めていった。

マイケル・ハワードはリデル・ハートの弟子にあたります。
786JTAC
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2019/12/01(日) 20:03:46.50ID:Qx5xIhtZ
ただしこの師弟。
兵学思想的にはかなり乖離があります。

リデル・ハートは「イギリス流の戦い方」、優勢な海軍力をフルにいかして敵勢力をヒットエンドランで翻弄、
オフショアバランシングと勢力均衡の戦略を提唱します。

マイケル・ハワードはこれに懐疑的です。
より総合的な戦略が必要なのではないか?
787JTAC
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2019/12/01(日) 20:12:45.07ID:Qx5xIhtZ
マイケル・ハワードは、WW2に際してオックスフォードを一時休学し軽歩兵としてイタリア戦線で戦いました。

殊勲十字章を授賞し、二度の負傷を経験した歴戦の軍人でしたが、
同時にイタリア戦線では各種襲撃活動にも従事し、部下を置き去りにせざるを得ない苦い経験もした。
それゆえハートの「イギリス流の戦い方」には懐疑的にならざるを得なかった。

大陸に同盟国がいなかったら、いくら海軍が優勢でも戦略的に終わりじゃん?と。
788JTAC
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2019/12/03(火) 23:41:59.59ID:OxJLWRLu
1970年代。北ベトナム軍の攻勢によりサイゴン陥落。
アメリカは完膚なきまで戦争に破れました。
ジョミニ-マハン流の消耗戦略主体の戦争は完全に行き詰まった。
やみくもに、攻勢をしかけ、戦略爆撃をしかけ、ベトナム人をたくさん殺害しましたが、
北ベトナムのCenter Of Gravity(ソ連、支那との同盟とLine Of Support)を破壊できなかった。

このどん底から立ち直り、再び陸軍を立て直したのは「クラウゼヴィッツ・ルネサンス」であると言われますが、
これは、つまるところ1976年に出版された"On War"(マイケル・ハワード/ピーター・バレット共著)のことです。

「従来の絶対戦争を強調するクラウゼヴィッツ観は、まともに「戦争論」を読んでいない誤読である。」
と、冷たく言い放ちますが、これはマイケル・ハワードのクラウゼヴィッツ解釈に基づいていますw
789JTAC
垢版 |
2019/12/03(火) 23:55:33.52ID:OxJLWRLu
ハワードのクラウゼヴィッツ解釈は「あまりにクラウゼヴィッツを美化し過ぎている」という批判はあります。
戦争文化論の立場をとるマーチン・クレフェルトとジョン・キーガンです。

これ対するクラウゼヴィッツ陣営からの再々反論がコリン・グレイ、エドワード・ルトワックということになろう。

こういう意見対立の関係マップを作っていくことは、文献が限られる日本人には有用です。
790JTAC
垢版 |
2019/12/05(木) 19:24:05.57ID:5v8MaLlZ
マイケル・ハワードは、明確なまでに「(戦いの)不変の原則」に反対です。
「戦争が行われている環境から離してゲームの技術のように戦争の技術を研究することは
戦争自体、さらに戦争が行われている社会の理解にとって不可欠な研究を無視することになる」
と述べています。

そして、その方法論としてドイツの歴史家ハンス・デルブリュックを引用し
「政治史・社会史・経済史・文化史の枠組みにおいても戦争を研究しなければならない」としています。
それが「戦争を理解」することであると。
791JTAC
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2019/12/05(木) 19:39:59.71ID:5v8MaLlZ
これを実践したのが代表著作の一つ「ヨーロッパ史における戦争」です。
この書を執筆する過程で気がついた。
「これって、実は欧州史そのものじゃん!どえらい依頼を引き受けてしまった!」と七転八倒しますが、こうして名著が完成しました。

マイケル・ハワードは、かなり最近に逝去されましたが、最晩年の2009年に再版してます。
内容は古さが無い。
欧州史としても実は定説の基礎になっているということでしょう。
歴史学サイドは絶対に認めないでしょうが。

ハワードがロンドンキングスカレッジに「戦争学部」を作ったのは、あるいは作らざるを得なかったのは
歴史学サイドが頑なに戦史を排除しようとした結果でもあります。
ハワードは嘆いています。
「何で書店でまで戦史を歴史学コーナーから排除して、目立たない片隅に押し込めるかねぇ?好事家の趣味扱いで。
戦争も歴史の一部では無いのか?」
現代日本もそうですね。
792JTAC
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2019/12/07(土) 09:01:13.43ID:QJZg1kgp
アフガン支援に人生捧げた中村哲医師 なぜ悲劇は起きたのか

https://www.news-postseven.com/archives/20191207_1503858.html/4

さすがにショックな事件ですね。
御冥福をお祈り申し上げます。
793JTAC
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2019/12/07(土) 09:05:55.91ID:QJZg1kgp
中村氏らぺシャワール会の治水が緑化したアフガニスタンの大地

https://news-postseven.kusanagi-cdn.com/wp-content/uploads/2019/12/MG_4297.jpg

感度的としか言う他はない。
人にこんな力があるんですね。
794JTAC
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2019/12/07(土) 09:29:33.75ID:QJZg1kgp
善意としか言う他はない素晴らしい事業ですが、ここにも戦略のパラドックスは働くのです。
複雑な部族社会のアフガニスタンでは、一方の部族を(たとえ善意でも)支援すると
敵対関係にある他の部族との対立を招く
これは20年前のイラク復興支援でも起きた。
サマーワ駐屯地に迫撃砲を打ち込んできたのはそういうことです。

冷酷な国家戦略による同盟の青写真がないと合目性のある海外支援は無理でしょう。
そもそも日本としてアフガニスタンをどうしたいのか?

現在のアシュラフ・ガニー政権は、所詮は腐敗堕落のアメリカ傀儡政権でしかない。
アフガニスタン内でアライアンスの構築は無理です。
アメリカがどう足掻こうと、タリバンの復権は阻止できないでしょう。
現在、タリバンは54郡(13%)を支配し122郡(30%)が係争中です。
早晩、タリバン手に落ちる。

アメリカは再びベトナムでの愚を犯した。
国家戦略(≒同盟)を考慮しない強引な利権追求(パイプライン建設)の末路です。
795JTAC
垢版 |
2019/12/07(土) 09:49:59.31ID:QJZg1kgp
大きく見ると、WW2後にアメリカがこさえた歴史的な連続性が無い傀儡政権(概ね英語語学力で選んでいるw)が全て倒れる過程にある。

かつて、アメリカのNewsweek紙は「カルザイはセクシーな英語を話す文明人だ。アフガニスタンの成功は疑い無し!」と真顔で書いていました。
アホかと。

戦後、アメリカが急造した「セクシーな英語を話す国家元首」が初代の傀儡政権。
その最後の一個が日本の傍にある。
先は見えてますがね。
796JTAC
垢版 |
2019/12/08(日) 19:55:06.28ID:dQ/NWM7h
マイケル・ハワードの「ヨーロッパ史における戦争」のパラダイム・シフト

封建騎士の戦争

傭兵の戦争

商人の戦争

専門家の戦争

革命の戦争

民族(国民(nation))の戦争

技術者の戦争

ヨーロッパ時代の終焉

となっています。
797JTAC
垢版 |
2019/12/08(日) 20:10:21.11ID:dQ/NWM7h
マイケル・ハワードはローマ帝国崩壊と民族移動のよる「ヨーロッパの形成」から筆を起こします。

初期はホッブズとしか言いようがない民族移動のカオスの戦争の必要性から、家門単位での騎士の戦いから始まりますが
時代を経るにつれて戦争の規模や戦略位相が金、専門性、国家、テクノロジーを媒介に拡大していく。
そして、ついにはヨーロッパの外側にまで広がり、同時にその外部の強大化や核によりヨーロッパは主導権を失う、というストーリーです。

一つの時代のパラダイムはその時代に包含され爛熟するファクターによって新たなパラダイムにシフトされる。
この弁証法を紡いでいくことで戦争の全体像を掴むことができる。
またパラダイムシフトしたからいっても直ぐには消えず後々まで残るものもある。
これを根気よく繋いでいくことで「戦いの原則」のような危険な抽象化減ることなく現代戦を理解できなくます。

クラウゼヴィッツが入り口まで案内した方法論を具体化・拡充して国家戦略を具体的なものとして提示した。
このへんがハワードの功績。
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2019/12/08(日) 20:58:18.72ID:dQ/NWM7h
孫子のパラドックスの兵学は、紀元前から始まり、その精華というべき漢王朝系列(司馬氏の晋王朝)が三世紀頃の民族移動により滅ぶ。

さらに、異民族支配の頂点というべきトルコ系の突厥+モンゴル系の鮮卑=唐王朝(李衛公問対)が支那を支配。
さらに拡大してタラス河畔でイスラムとバキバキやった七〜八世紀。
西欧でもアジア系のフン族(アジアの匈奴説あり)の民族移動によってローマ帝国が滅びハワードの「ヨーロッパ史における戦争」が始まる。
両洋における戦史のマイルストーンでもある。

「パラドックス」と「パラダイムシフト」が同時に混在する時代の幕開けです。
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2019/12/08(日) 21:15:01.60ID:dQ/NWM7h
日本では、司馬遼太郎による「司馬史観」とともに塩野七生のローマ史「塩野史観」にかなり犯されています。
あれを「歴史」と捉えるのは危険だ。

古代帝国は所詮は「部族」を脱却できず普遍性にまで到達できない限界があります。
奴隷制や通貨供給の限界もろもろによる中世化は既にローマ帝国存在時から内包されてた。
塩野史観はローマベタぼれで、これをクレンジングしないと次のステップには進めない。
ジョン・キーガンあたりの容赦の無いローマ戦史あたりで角質層を擦り落とすのがお勧めです。
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2019/12/09(月) 21:25:06.31ID:HIkbKsaq
「封建騎士の戦争」

ローマ帝国末期。
フン族の出現に押されたゴート、ヴァンダルは、ライン川、ドナウ川を越え、
アドリアノープルで最後のローマ軍団を串刺しにして、そのまま西ローマを蹂躙していった。
さらにその後方からフランクが侵入しフランス、ドイツに定住し支配を確固たるものにした。
欧州の誕生である。

ところが、そのさらに後方からは騎馬民族のマジャールがハンガリー草原に侵入。
さらには海洋民族の北欧ヴァイキングが河川を攻め上がり村村を劫掠した。

戦闘形態は会戦よりも襲撃戦が主体で、そのためにはどうしても騎馬、長槍が必須。
ところが、馬上槍でチャージするには幼い頃からの乗馬修練や戦闘訓練が必須となる。
また個人(家門)単位での裕福な経済基盤が前提となる。

「封建騎士」の誕生である。
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2019/12/09(月) 22:58:22.25ID:oNRsiOWl
封建騎士により欧州は安定し、東ではアバールをハンガリー封じこめ、スラブを征服し、
西ではレコンキスタでイスラムをイベリア半島から駆逐し始めた。
欧州は膨張を始め失われた貨幣経済も復興し始めた。
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2019/12/09(月) 23:24:10.23ID:oNRsiOWl
イギリス王国は、ヴァイキングの一派ノルマン人が征服によりイギリス、フランスにまたがる広大な王国を建てたが、
反面、広大すぎて封土の騎士の数では到底防衛できない。
そこで征服したウェールズ地方の弓手を傭兵として雇用した。
彼らウェールズ長弓隊の弾幕射撃は、フランクの封建騎士を根絶やしにしかねない程の殲滅的打撃をフランス騎士団に与えた。

フランスは野砲により長弓隊をなぎ倒して百年戦争を勝ちぬき、スイスの傭兵団は長槍によるスイス方陣にてハプスブルグの騎士団を殲滅した。
いづれも金と傭兵が答えである。
封建騎士がもたらした安定が貨幣経済をもたらし、戦争の規模を拡大させ「傭兵の戦争」を到来させた。

フランス王シャルル八世が、1494年に巨大な軍を率いてルネサンスのイタリアに進軍を開始。
歩兵の中核はスイスの長槍兵。高貴な重騎兵。真鍮の野砲。
彼らは潤沢な国庫から俸給を得た傭兵であった。
それは三百年後のナポレオンの軍隊と構成上は変わらない軍隊だった。

騎士の時代は、騎士の戦争により終わった。
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2019/12/10(火) 23:47:37.13ID:t03i2LkL
「傭兵の戦争」

傭兵の戦争は、実に前時代の動機から始まった。
イタリアに侵攻したシャルル八世の目的はナポリ王位への継承権の主張。封建時代の残滓である。
しかし、その巨大な傭兵軍の威力は権力の集中を引き起こさずにはいられない。
この時代、軍隊の巨大化、高額化により戦争できる君主とそうでない貴族の差が明確になった。
ハプスブルグの手が届かなかったドイツ中部を除く、フランス南部とイタリアの領主は片っ端から滅ぼされ、ハプスブルク家かフランス王の胃袋に収まった。

マキャベリ曰く「君主の安全は至高の法」。
まさにそう言う時代である。
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2019/12/10(火) 23:59:26.17ID:t03i2LkL
傭兵時代の戦術は防御側が優勢で、長槍(パイク)方陣の柵で攻撃側を食い止め、マスケット銃の狙撃でこれを破砕した。
野砲はマスケット銃に比べ進化の袋小路に嵌まり、パイクとマスケットの方陣を潰す術がない。

騎兵は衰退し、拳銃射撃と旋回を繰り返すカラコール戦術が主流になった。
騎兵の突撃など死語である。

防御側の優勢は会戦の意欲をそぎ、1534年のミュールブルクの戦闘から何と100年近くも欧州から大規模戦闘が消滅した。
次は1631年のブライテンフェルトの戦いである。
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2019/12/11(水) 00:06:00.76ID:WaWKwgZl
傭兵時代の傭兵隊長は不安定な存在で、途中の社会を破壊しイナゴの群のように進軍した。
スピノラ、マンスフェルト、ベルンハルト、そしてヴァレンシュタイン。
富と権力を手には入れたが軍事的有効性を政治権力に変えられたものはいなかった。
(ヴァレンシュタインは惜しかった。)
806JTAC
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2019/12/11(水) 00:19:12.17ID:WaWKwgZl
傭兵の時代。
戦争は無秩序の極みであり慢性的に掠奪を加え、死傷、病気、脱走。
常に融解の危機があった。

ただし、西ヨーロッパには例外があった。
ユトレヒト諸州軍、後のオランダ軍である。
規則正しく軍隊に俸給を与え、規律を維持し、訓練をおこなった。
そして独立を認めず侵攻してくるスペイン・ハプスブルク家の構成を粉砕した。

傭兵の時代は、模範的な傭兵を産み出すシステムとして終わった。
807JTAC
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2019/12/12(木) 00:17:31.69ID:hWBWxeeC
「商人の戦争」

十五世紀の戦争は、端的に言えば「儲かる」戦争であった。
傭兵とペストに踏み荒らされた欧州に富などあるはずがなかった。
富は欧州の外にあった。

スペイン、ポルトガルは新大陸、アフリカを征服し、銀鉱、奴隷貿易で莫大な利益を上げたが、それは世評言われるほど銃砲の利によるものではない。

傲慢な自信、馬による機動性、強靭さ、熱狂性。
彼らは千年前に欧州に侵入した戦士遊牧民の最後の末裔だった。
十字架を持ち航海を学んだ遊牧民であった。
808JTAC
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2019/12/12(木) 01:02:21.36ID:hWBWxeeC
このパラダイムの最大の受益者はオランダである。
戦争から得た収益で十分な数の陸軍と国境要塞を築き、戦乱の欧州にオアシスを実現した。

オタンダは東インド、西インド貿易とスペイン、ポルトガル船舶の捕獲で利を上げたが過大評価は禁物である。(0.2%)
オランダの儲けの主体はバルト海における沿岸交易であった。
ここから得た木材を、独立戦争の敵であるスペインに売り、その儲けで軍備を整えスペインと戦う。
スペインはオランダの木材で艦隊を作り、新大陸から富を奪い、その富でテルシオを編成しスピノラがオランダを攻める。
まことに分けの分からない金の流れの戦争が続いていたが
当人達は儲かって儲かって薄気味悪いほどニコニコしていた。

かくして商人の戦争は続く。
809JTAC
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2019/12/12(木) 21:21:13.07ID:s+kmMliN
オランダ人は、商人らしくとっつき易い地域に目をつける。
スペインに併合されて防衛力が低下したポルトガル植民地がターゲットになった。
防御の堅いスペイン植民地の要塞群には手を出さず、また利益になるなら敵とでも通商を行った。

しかし、オランダの富を羨望の目で視ていた餓狼達はそうは考えなかった。
彼らは通商での儲け以上にオランダを叩き潰し、利を独占することを考えた。

ルイ十四世の宰相コルベールは次のように王に言上した。
「陛下はスペイン、イタリア、ドイツその他の国を征服し、これらの諸国に悲惨と欠乏を与え、略奪し、富を増してこられました。
今やオランダだけが残っております。」

敵の壊滅の上にこそ繁栄は築かれる。
重商主義者の恐るべき本質である。
810JTAC
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2019/12/12(木) 22:20:52.62ID:s+kmMliN
重商主義論は、その理論に優雅さと首尾一貫性を持ち、多くの経済論と違い実践でも威力を発揮した。
もし政府が富を掴めば、それは艦隊と軍隊に変えられた。

ルイ十四世の進軍は、海洋国家イギリスとオランダ同盟軍食い止められたが、
それはマールバラの専門的な指揮能力と、公債を募集し信用取引を確立したイングランド銀行と大蔵省の貢献大である。
欧州の諸政府は、社会の富を徴収し社会に対する支配を拡大する機能、官僚制度、財政制度、そして専門的な軍隊を発展させた。
811JTAC
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2019/12/12(木) 22:38:54.51ID:s+kmMliN
陸軍はその都度召集することもできるが、海軍は平時から造船所、造船工、
水先案内、海図作成者、兵器専門家など巨大な下部構造が必要である。
彼らは常傭で専門的な仕事の核をなしていた。

欧州列強の海軍は、十ハ世紀までには高度に専門的になり、専任の正規の士官に指揮され、
艦船の型は分類、特殊化され、活動は中央で計画された戦略に合わせて調整され統制された。

彼らの戦略の眼目は、自国の有利になるように敵の通商を制限することにある。
交易保護と封鎖は海軍の時間の多くを費やした。

ホーク、ロドニー、ネルソンのような人々は、自分を国家に使える専門士官だと考え、実際に祖国のために戦った。
もはや、彼らの戦いを「商人の戦争」と呼ぶことはできない。
専門主義と愛国心が欧州の戦争の主要要素となったのである。
2019/12/13(金) 05:58:46.86ID:qwbXqNwx
戦闘機やら戦車やらも大事だとは思うが北朝鮮の脅威を見るとやっぱり一番は核ミサイルか今の世界情勢で日本が核もつのは現実的じゃないから通常のミサイルを増やしまくったらいいんじゃないかな
813JTAC
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2019/12/14(土) 00:28:29.02ID:xjs5Q4CX
>>812
「ミサイルで何をしたいか」が問題です。
野砲との比較で炸薬量当たりのコストはミサイルの方が10-100倍悪い。
コストに見会う目標に叩き込まないと、撃てば撃つほど敗北に近づく。
814JTAC
垢版 |
2019/12/14(土) 00:31:26.15ID:xjs5Q4CX
北朝鮮への経済制裁効果を見るに、やはり現下の情勢で同盟を考慮せずに核武装を試みるのは自殺行為です。
軍事力以外でも敵を殺す方法がある。
2019/12/14(土) 03:04:42.36ID:rI5+2hw0
>>813
というか持つことによる抑止力だよ都市の一つでも壊滅できる量と質をもってれば侵略しても割に合わないと相手に思わせられる
2019/12/14(土) 08:46:01.23ID:xjs5Q4CX
>>815
「核」は持ってしまうと核同士の対峙が始まります。
核兵器の大半は、じつは相手の核兵器を破壊する用途で持っています。

「抑止力」になる半面、他国の戦略核の「潜在的な標的」にもなる。
一歩間違えれば「民族の滅亡」です。
例えば、北朝鮮の核は「抑止力」になる半面、アメリカのICBMの標的にもなっています。
817JTAC
垢版 |
2019/12/14(土) 08:52:55.49ID:xjs5Q4CX
さらに世の中には、anti-nuclear manueverで相手が核を持っててもOMGを放ってくる連中もいる。
核兵器と言えども常に対策はある。
818JTAC
垢版 |
2019/12/14(土) 09:02:36.30ID:xjs5Q4CX
日本の場合、戦略次元(目的 :安全(領土保全、国民保護)と繁栄(経済他))の方法論として考えると、
現段階では「日米安全保障条約」>「核の保有」です。
この同盟自体が潜在的な核シェアリング効果があります。

実際、一時期、沖縄はアメリカの核で溢れかえっていました。(問題発言)
我々は核兵器を保有はしていませんが、「核戦略」の危険なゲームはとっくに始めています。
819JTAC
垢版 |
2019/12/14(土) 09:18:30.67ID:xjs5Q4CX
イラク戦争も、見方によっては核保有国に対する攻勢作戦とも言える。
(実際にはイラクは核を保有しなかったが)

アメリカの作戦序列を"OMGによるanti-nuclear manuever" と考えると、彼らの作戦のラジカルさに色々と説明がつく。
サダム・フセインが大量破壊兵器の使用を決断する前に政治的意思決定の中枢を破壊する必要があった。
(くどいですが、実際にはイラクは核を保有していなかった。)
2019/12/14(土) 11:14:05.66ID:rI5+2hw0
>>816
いやよく読んで核を持とうなんていってないよ
2019/12/14(土) 11:28:04.80ID:rI5+2hw0
核を持つのは世界情勢的に現実的じゃないってちゃんと書いてるじゃん
822JTAC
垢版 |
2019/12/15(日) 12:59:23.23ID:C0hjo4bE
何回目かですが、「ミサイル」というハードは、技術次元では優れた先端技術の産物ですが、
戦争の次元を複雑にしていくと、「戦術次元」では敵の対抗策に直面し「作戦次元」では作戦地域の広大さ、敵の規模、ミサイルの兵站とのミスマッチにさらされます。

そこで現代の作戦術では、敵の重心(センター・オブ・グラビティー)の死命を制するHigh Payoff Terget(HPT)に対し計画的に使用します。

「戦略次元」の考慮事項としては、他の火器含めて装備体系全体で最適化し作戦を成立させ、かつ財務省を納得させるコストで態勢を構築します。
823JTAC
垢版 |
2019/12/15(日) 13:04:29.70ID:C0hjo4bE
そろそろ、財務原案の最後の枠入れの時期やの。
824JTAC
垢版 |
2019/12/15(日) 13:23:12.59ID:C0hjo4bE
そもそも「火力」というファクター自体が高額なのだ。
今でもWW2の1944年頃の状況をさして火力をあまりに過大評価する向きがある。
確かに、欧州戦線でも太平洋戦線でも1944年の戦場は規模を拡大した陸海空の火力のウェイトが大きかった。
が、それは開戦から四年も経過し、その間、開戦前のGDPの数倍の規模を軍事予算を「火力」に突っこみ続けた結果です。
戦史上、かなり特殊なケースと言っていい。

現代戦では、そこまでやると核戦争に陥る可能性があるし、さらには先方のA2/ADとハイブリド戦は、
火力戦(消耗戦)のトランペットがなる前にさっさと戦争目的を達成して競合状態に回帰することをめざします。

それで、南オセチアもクリミアもウクライナ東部もロシアの実効支配に置かれました。
ゲラシモフの思惑通りです。
825JTAC
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2019/12/15(日) 13:37:00.05ID:C0hjo4bE
量産装備調の国庫債務負担行為で、契約から納入まで「5年」とかあり得んと思う。
(艦船は、まぁ許す)

それって有事の緊急調達とか真面目に考えているのか?
作っている間に戦争終わりますよ。
量産装備は「二国」以内であるべきだ。
そして一朝事あるときは歳で無理矢理にでも何とかする。
それが「兵器」ってもんでしょ。

祖国が蹂躙されてから納入されても手後れです。
利益団体のマネーゲームはたくさんだ。
2019/12/16(月) 09:55:34.61ID:TNp+5czv
そもそも砲兵火力などは、運動中の目標に対しては効果が限定的なのだ。
そして運動しつつ火力を発揮できるのは、機甲くらいなもの。

(注;SBCTは移動しつつの火力発揮が出来ないというのは、先日の軍研のCTC記事でもわかる)
(だから米軍はMDB/MDO戦場下で機動しつつ火力発揮できる新しいおもちゃとしてRSGとか欲しがる訳です。)
827JTAC
垢版 |
2019/12/17(火) 19:57:39.23ID:MkayryJ5
>>826
作戦次元の火力の優越は、単位時間当たりの投射量に加えて、目標情報収集・分析の情報機能、
1000t単位で弾薬をガシガシ前方に送る兵站機能を含めた「全体」システムのはずですがね。

何故か射撃陣地変換の「部分」を気にして玩具を欲しがる。
某国の牽引砲全廃施策は正気の沙汰とは思えず。
うず高く積まれた弾薬の山脈の横で、カンカン躍りを踊ることにどれほど意味があるのか。
828JTAC
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2019/12/17(火) 20:02:07.82ID:MkayryJ5
自走砲の作戦次元の真価は、作戦地域が「縦深」に動き始めたときに表れる。
ところが「縦深作戦」に関心が全く、全然、皆無に無いのに、何故か自走化してALSをつけたがる。
装甲は無しで。
829JTAC
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2019/12/17(火) 20:25:20.31ID:MkayryJ5
ナポレオン戦争時の機動砲である騎馬砲兵、通称「空飛ぶ砲兵」は、やはり砲兵の夢でイタリア戦役の花形でした。

馬匹も含めると高価で、戦争が大規模化していくと比率はどうしても下がる。

運用もかなり無茶だった。
「もう二百歩、前へ!」
「敵の顔が識別できるんですけど!」
それがどうした。友軍歩兵の突撃を妨げる敵戦列を叩き潰さざるべからず。

そういうスピリットはどっかに置き忘れて。
アウトリーガーで固定して築城するノウハウも失われる。これって何だろう?
砲兵以外の何かだな。
830JTAC
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2019/12/19(木) 22:52:31.43ID:awFZIL+M
「専門家の戦争」

十八世紀までに欧州の軍隊は国家に使える「役人」になった。
我々のよく知る専門家(ミリタリープロフェッショナル)の軍隊です。
規則正しく雇用され俸給が支払われ出世の見込みが保障され国家に奉仕した。
さらに「軍人」とこれを管理する「文民」に区分された。

これらは、国家が社会の諸資源に対し統制力を得たことをも意味する。
専門的軍隊の発展は、対外防衛のみならず対内的な抑圧の具でもある。
絶対君主の手中に恐るべき力が入った。
イギリスやアメリカが常備軍を嫌うのはこの苦い経験による。

他方、プロイセンのような四周を敵に包囲された国ではさにあらず。
常備軍なくしてはたちまち滅亡する。
「プロイセン軍の歴史はプロイセン国家の歴史」
(ハンス・デルブリュック)
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2019/12/19(木) 23:01:16.86ID:awFZIL+M
専門的軍隊の発展でリードしたのはユトレヒト諸州同盟・オランダである。
前節のようにバルト海貿易で得た富で、年間を通して軍を武装させることができた。

これによりオランダ陸軍は傭兵には強制できなかった二つのことを可能にした。
「塹壕構築」と「訓練」である。
これがオランダ陸軍に決定的な優位を与えた。
832JTAC
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2019/12/19(木) 23:15:39.13ID:awFZIL+M
オランダ陸軍の司令官・オラニエ公・マウリッツは、「火力」こそが決定的要素であり、
パイクがマスケットを守り、その逆では無いことを理解した初めての指揮官である。

マウリッツは深度十列のマスケット銃手からなる横長の隊形を採用し、これを少数のパイクで騎兵の襲撃から防護した。
マスケット銃手は発射すると回れ右で隊伍の後につき再装填。
最前列は間断なく射撃することができた。

戦闘行為のこのような発展は運動の統制、火力の統制、兵士の自制が必要でそれには「訓練」と「規律」が決定的に重要である。
「規律」は前時代の傭兵や騎士には欠けていた。欧州でも比較的最近の現象である。
833JTAC
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2019/12/19(木) 23:25:58.78ID:awFZIL+M
「規律」は必ずしも新しい考えではなくギリシア人、ローマ人に由来を持つ。
マウリッツは、ライデン大学のユストア・リブシウスの協力によりストア学派哲学を「再発見」した。
自制、自己犠牲、権威への服従。この精神だけがローマ軍を動かせたのである。

ストア派哲学はプロテスタントの実直な生活とよく適合した。
マウリッツの教義はオランダ軍、スウェーデン軍、ブランデンブルグ軍、後のイギリスニューアーミー等、プロテスタント諸派軍に受入れられていった。
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2019/12/20(金) 20:07:34.09ID:U0pfrWOJ
マウリッツはジーゲンに士官学校を創りプロテスタントの若い貴族にオランダ陸軍の教義を教えていった。
マウリッツの弟子の中に、スウェーデン貴族のヤコブ・デラガルディがおり、彼は帰国後、王子の軍事教官になった。

その王子こそが後のスウェーデン王「北方の獅子王」グスタフ・アドルフである。
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2019/12/20(金) 20:27:37.79ID:U0pfrWOJ
中世の「封建騎士の戦争」はスウェーデンを迂回しており王国では一般兵役義務を維持していた。
(「封建騎士」発足の理由は絶えざるヴァイキングの襲撃への対処だが、なんせスウェーデンこそヴァイキングそのものだったので・・・)
グスタフはこれを長期服務軍に発展させた。
兵役は国民の十人に一人で、残りの9人が課税されその一人に供する装備代を負担した。

一方で、国外遠征の場合は徴兵の財政負担は大であり、その土地の傭兵を雇った方が安上がりなことに気がついた。
1632年、グスタフが戦死した際、14万の軍が指揮下にいたが、その90%以上はベルンハルトのような傭兵でもある同盟者であった。

だが、徴兵も傭兵も全てスウェーデン軍の教義を採用しそれによって訓練された。
その有効性は1631年、ブライテンフェルトの戦いで旧教側のオーストリア・バイエルン連合の帝国軍主力を完膚無きまで撃滅することで証明された。

欧州が震撼し勢力図が変わった。
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2019/12/20(金) 20:42:17.70ID:U0pfrWOJ
グスタフ・アドルフは、1632年、ヴァレンシュタインが再編した帝国軍との戦闘で戦死し、スウェーデン軍は徐々に解体されていった。
しかし、スウェーデン軍は戦争遂行の一つの型を示し各国は躍起になってこれを吸収しようとした。

スウェーデンの長期服務兵は王によって支払われ、着せられ、装備を与えられ、王又は代理に指揮された。
供給と兵站は国家の責任と認められ、国土を遥かに離れ重い負担であったとしてもそれは遂行された。
(フランスの策士、リシリュー枢機卿の御寄進がありましたが。カトリックの枢機卿なのにw)
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2019/12/20(金) 20:51:18.03ID:U0pfrWOJ
スウェーデン軍の歩兵は、マスケット銃の軽量化と不断の訓練により発射と装填速度が著しく早くなった。
マウリッツの横隊が深度十列に対し、グスタフの横隊は六列までコンパクト化することができた。
横隊全体による一斉射撃すら可能であった。

騎兵はカラコールから白兵に回帰し、規律正しい集団としいて一斉にサーベルチャージを敢行し中世騎士よりも恐ろしい衝撃を放った。
クロムウェルの鉄騎兵はこの後継である。
838JTAC
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2019/12/20(金) 20:58:55.40ID:U0pfrWOJ
砲兵は、砲身長と射程が必ずしも比例しないという発見により機動力と発射速度が向上した。

最後に最も重要な要素は三兵種を協力して機動させた教義である。
テュレンヌ、ルクセンブルク、マールバラの業績もこの教義基礎とする。
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2019/12/21(土) 21:50:07.53ID:PFSPrjCw
18世紀までに歩兵のマスケット銃は、マッチロック式(火縄銃)からフリントロック式(火打ち石)に改良され
一分間に三発の斉射が可能な深度三列の歩兵隊形となった。
さらに、銃剣の発明により長槍(パイク)無しでポジションを固め騎兵の襲撃を跳ね返し連続射撃を加えることができた。

だが、一旦、隊形が崩れると薄い歩兵の横隊は騎兵に蹂躙される。
サーベルや槍(ランス)で武装した重騎兵(胸甲騎兵、槍騎兵)は依然として重要な兵科であった。
また、トルコ軍との戦闘で必要であった掩護と偵察のための「軽騎兵(ユサール)」は、ハプスブルグ帝国軍を経由し東欧から伝搬した。
一方、機動力をもった火力は「竜騎兵(ドラグーン)」によって提供された。
彼らは軽いマスケット銃を装備しており国内の内乱鎮圧にも使用された。
厨二病的なネーミングは国内向けの威圧効果を狙ったものである。
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2019/12/21(土) 21:56:29.46ID:PFSPrjCw
野砲の改良ではフランスが先行し、砲兵監・ジャン・バティスト・ド・グリボーヴァルにより、
カノン砲は12ポンド砲、8ポンド砲、4ポンド砲
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2019/12/21(土) 22:07:47.78ID:PFSPrjCw
(続)榴弾砲は6インチに標準化された。
(グリボーヴァルシステム)

部品は互換性を持ち、装薬の改良により射程が延伸し、照準器の改良により命中精度が向上し、
砲架の軽量化により戦場の必要な地点に火力を集中できるようになった。

砲兵について最も重要な変化は砲兵自身に起きた。
もはや彼らは「邪悪な専門技術を使う文民集団」とは見なされず、制服を着用し規律を持った軍隊の一兵科となった。

ブリアンヌ士官学校の砲兵候補生にコルシカ出身の優等生がいた。
ナポレオン・ボナパルトである。
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2019/12/22(日) 13:21:51.72ID:7Bo1Q4DL
十八世紀の「専門家の戦争」は、兵器の発達以上にその開発を決定し、生産と補給を調整し、
経費を支払う地位に専任の文民国家官僚が座りコントロールするようになったことが重要である。
グスタフ・アドルフが残した青写真を発展させたのはブルボン朝フランス王国であった。

アンリ四世が暗殺され王家が破産した当時のフランスは、欧州では取るに足らない勢力と見られていたが、
そこに欧州最高の頭脳、辣腕の宰相、リシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシーが出現し歴史の歯車が回り始めた。

ハプスブルグ家にオーストリア、スペインから挟撃される戦略的位置にあるフランスは、
三十年戦争当初はスウェーデンを財政支援して代理戦争を戦わせていた。
が、グスタフが戦死したときリシュリューが悟ったことは、ハプスブルグの力が欧州で支配的になるべきでないとするならば、
フランスは軍隊を改良して自ら戦場に出る必要性に直面している、ということであった。
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2019/12/22(日) 13:43:21.03ID:7Bo1Q4DL
ところが、それは恐るべき仕事であった。
ブルボン王家は支配下の雑多な地方に支配権をもっていなかった。
行政組織もなく、ついでに金もなかった。三十年戦争を通して一万二千を越える軍を養うことはできなかった。

軍の運営費は、各連隊長に一括して渡し、各連隊長が部下と装備に支払いを行ったが、
腐敗が凄まじく、俸給は滞り小部隊さえも度々四散した。

上級将校は貴族達であったが、王家に対する忠誠心など皆無で戦場でも内紛を起こした。
ロクロワで最強スペイン軍を粉砕したヒーロー、大コンデ公もスペインに寝返る始末。
ルイ十四世が即位するまで破産、腐敗、無規律がフランス軍のトレード・マークであった。
(よって、リシュリューはスウェーデン宰相アクセル・オクセンシェルナに軍事費を強請られ苦労するわけです。)

このフランス軍が1680年に三十万に達し、その後、全欧州に喧嘩を売って四半世紀も光輝と栄光を欲しいままにする。
意外としか言いようがない奇跡である。
いったい、どのように達成されたのか?
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2019/12/22(日) 14:29:51.37ID:7Bo1Q4DL
この革新の鍵は「軍を管理する文民制度の創設」である。
この官僚制(経理部(intendance))は、リシュリュー時代に「査察官制度」として始まった。
彼らは軍を訪問または駐在し、地方から徴税して食料・弾薬の支給を確保し、また王に報告した。

ルイ十四世の時代になると、二人の疲れを知らない官僚、ミッシェル・ル・テリエ、その息子のド・ルヴォワがこれを単一の中央集権的な管理機関に発展させた。

各連隊、さらには現地の住民はこれらの官僚の調達行為を不愉快に思ったが、不平を言っても無駄である。
その後背には精力的かつ非情なルヴォワが控えており、さらにはそれを支持する王がいた。
これらの機構により逆説的に王の支配は有効に主張されるようになった。
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2019/12/22(日) 14:56:44.35ID:7Bo1Q4DL
ル・テリエ、ルヴォワの改革は、これまた非情なる重商主義者コルベールによる財政に裏づけられ成功したが、
金はそれ自体では有効性を改良できず、軍の官僚機構による支配力の強化との相乗により達成できたと見るべきであろう。

このフランス軍は、軍全体の監察総監「やかまし屋」ド・マルチネによって歩兵の訓練基準を叩き込まれた。
全ての貴族の将校は、模範連隊である近衛銃士隊において演習し規律を叩き込まれた後、各連隊に送られた。
また、フランスの国境はセバスチャン・ル・ブレストル・ヴォーバンの「要塞制度」により不落の強度で防衛された。
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2019/12/22(日) 15:19:14.25ID:7Bo1Q4DL
フランスの軍官僚機構の成功も「当時の基準で」という但し書きがつく。
ヴォーバン曰く「豚のように住み、半分裸で、餓死しそうな」フランス軍の現状を考えると王家が心配だ、と。
(18世紀末に的中します。)
ロココ時代の軍隊は、外見は優雅でも、実態は浅ましく残忍で戦争に巻き込まれる人々にとっては野蛮なものであった。

しかし、フランス軍は、その欠点にも関わらず、欧州がそれまでに見た中で最良最強かつ最大で、また最も優れた国家権力による支配の具でもあった。
それは、四十万にも達し最新の武装が施され、マルチネが定めた一分間当たりの歩調に従い機械のように行軍し
フランス王家に逆らう者達を踏み潰していった。

フランスの軍事制度は全ての欧州の国々に真似られた。
怠れば蹂躙され滅亡あるのみである。
フランスの建築、美術、宮廷儀礼、ファッション、料理なども同様である。

軍隊を財産としていたドイツの小君主達はひたむきなまでの正確さでフランスの模範を真似た。
その中で不毛で貧乏で政治的に重要でないブランデンブルグ選帝公ほど真面目に見事にフランスを真似た者はいない。
彼らは十八世紀の始めに皇帝に対する忠誠によってプロイセン王の称号を得た。
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2019/12/23(月) 10:15:58.79ID:VyKKvg+o
十七世紀初頭のホーエンツォルレン家はまさに弱者で、ブランデンブルグ選帝候領は、
出鱈目な相続によりヴィストラ川からライン川の平原に防衛不可能なほと散在し、
領土内には、世界で最も言うことを聞かないハンザ同盟系都市、不従順なドイツ騎士団系貴族、疑い深い身分制部会の代表者が跋扈していた。
ホーエンツォルレン家が彼らを説得して軍隊の金を出させるのは至難の業と言えた。

後から振り返ると、大選帝候フリードリヒ・ヴィルヘルムは恐ろしく長期的な戦略で軍隊と国家を作ったように見えるが、
実際は時々の必要にせまられた場当たり的な措置であった。
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2019/12/23(月) 10:21:21.58ID:VyKKvg+o
某サイトによると、オランダのマウリッツ、フランスのリシュリュー、スウェーデンのオクセンシェルナ。
そして、プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム。
この四人で「十七世紀のえげつな四天王」と言うそうです。
(フッフッフッ・・・奴は四天王の中でも最弱の面汚しッ・・・。)
849JTAC
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2019/12/23(月) 10:53:25.04ID:VyKKvg+o
1653年。バルト海戦争に選帝候領の北と東が巻き込まれた。
フリードリヒ・ヴィルヘルムは、現行の全ての貴族等の特権承認と引き換えにわずかな上納金を課して数千の軍隊を集めた。
このとき、うまいこと言いくるめて「課税」という伝統的な賤業を取り上げることに成功した。
ただし、上納金自体は微々たる額である。

1654年。帝国議会(神聖ローマ帝国内では現代の国連に近い)は「帝国内の住民は、君主や修道院防衛のための寄付をしなさい」とお触れを出した。
フリードリヒ・ヴィルヘルムは、これは「寄付を強制す権利を君主に与えられた」と都合よく解釈し実力をもって「寄付」を徴収した。

ブランデンブルグ・プロイセン軍は、深甚なる領内貴族と都市、身分制部会の「御理解」「御協力」により、ついに四万五千の陸軍に成長した。
もはや、こっちのものであるw。
フランスの経理部と同様、プロイセンでも官僚機構が発達し
租税監督官や地方管区長は
プロイセン軍に対する王の必要を供するため工業、商業への支配を強めた。

これらの措置により孫のフリードリヒ・ヴィルヘルム一世のときにはプロイセン軍は八万に脹れ上がった。
将校は貴族から集められ、特権の確認と引き換えに少なくとも息子の一人を将校団に供することを義務付けられ、
プロイセン王家の従順な柱石となって言った。
フォン・トレスコウ家、フォン・ファルケンシュタイン家、フォン・マントイフェル家、フォン・クライスト家。
どこかで聞いたような名である。
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2019/12/23(月) 12:28:00.54ID:jIrFEpon
十八世紀の軍隊において、かつての傭兵の呑気な友情は厳格な階層構造に変わった。

一方は「将校」(commissioned officers)で王と直接的で個人的な関係にあり、生まれに関わらず軍隊内で貴族的生活様式を採用した。
他方は「兵卒」(other ranks)で懸賞金か強制徴募で募集された。
彼らは「下士官」(non-commissioned officers)という番犬階級で秩序づけられ、やたら鞭打たれて規律付けられた。
戦場でさえ、入念な隊形変換をロボットのように遂行し、敵の射撃に対しても何時間も動かず立っているように訓練された。

戦闘はあまりに破壊的であり、専門兵士を補充するのは困難で十八世紀の将軍は交戦を嫌った。
フリードリヒ大王は「戦争の最高の極意は敵を飢えさせること」
「戦争は戦闘で決する他ないが、それは時宜を得たものであらゆる点で諸君の側が有利でなければならない。」
「得られる好機は敵を供給から遮断するときであり、有利な地形を選択するときである。」
と「高級将校への訓令」で述べている。
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2019/12/23(月) 12:59:25.10ID:je9CxuVG
敵国内で軍事行動するとき、食料と飼料と弾薬を絶えず供給しながら約七万の軍隊を維持するという問題が、将軍の修得すべき第一のもので、
次の戦闘の補給物資が前線に集積されるまで戦闘を開始できなかった。
馬とラバの飼料が運動中の軍の主要な補給品で、一旦、冬営に入ると春の終わりまで動きがとれなかった。
前進速度は軍隊そのものの行軍に加えて、後方の通信線に沿って倉庫が作られる速度と、
補給部隊が基地から倉庫へ、倉庫から前線へと動く時間に制約された。

この時代から、「基地」(base)、「翼側」(franks)、「後方連絡線」(lines of communication(LOC))、「内線と外線」(inrerior and exterior lines)などの表現が登場した。
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2019/12/23(月) 13:12:31.17ID:je9CxuVG
前進軍はせいぜい数日の行軍で敵の要塞に遭遇し、指揮官は迂回するか攻囲するか選択をせまられた。
要塞の攻城には一夏かかるが、迂回を選択した場合はLOCに絶えず脅威を受ける。
要塞を封じるのに十分な兵力を割けば迂回も可能だが、少数の分遣は主力を弱め敵の思うがままになる。

迅速な進軍をできるように軍隊を訓練した大胆な指揮官だけが、
秋雨で道路が不通になる二、三ヶ月以内に決定的成果を望むことができた。
それにしても、一、二の上出来な攻囲戦を行い翌年の戦役開始に好都合な位置を占めることがせきれば幸運だと考えた。

つみ重なる重圧と財政的消耗が相手に講話を結ぶよう強いるまで、
このような小さな成功を積み重ねる方が、戦闘に全てをかけるよりは賢明とおもわれた
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2019/12/23(月) 13:25:51.73ID:je9CxuVG
軍隊は、自己充足した世界であり、独自の慣例、儀式、音楽、服装、習慣をもつ下位文化(サブカルチャー)であった。
「軍隊生活」として知られる単調だが取りつかれたような生活様式は、現代に至るまで各国軍に残っている。
社会のその他の者はほとんど関心を持たない。

何世紀もの間、欧州の無防備な人々を餌食にしてきた狼の群を、
訓練された従順な猟犬状態、ほとんどプードルにしたのは欧州文明の功績と言える。

しかし、このような非常な成功は反作用ももたらした。
欧州の富が発展するにつれて、ブルジョアジーの繁栄と自信も大いに発展した。
彼らは貴族の将校と、社会的な脱落者の兵士による軍事的要素を何の共感もなく見ていた。
良くても自分達に関係の無い専門家集団として、悪ければ嘲笑と軽蔑の対象として。
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2019/12/23(月) 13:38:15.07ID:je9CxuVG
啓蒙運動の人々は、もはや戦争を人類必然の運命とは考えなかった。

経済学者も、戦争をかつての「商人の戦争」時代のような富の源泉とは考えなかった。
富は商品の自由で妨害のない通商から得られる。イギリスの偉大なアダム・スミスの弟子達はそう教えた。

戦争は間違った法と誤った認識と既得権の結果であり、
もし世界が人間と社会の行動の本性をまことに理解した明察な人々に支配され組織されるならば、戦争は起こる必要が無い。
ヴォルテールや百科全書派の人々はそう教えた。

啓蒙化した人々がそこから解放されようとしている。
そして、いつか、もう間もなく、人類が完全にそこから逃れることができる。

軍隊とは、今なお古い時代遅れの生活様式を引きずる代表者に過ぎない。
そう考えた。
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2019/12/23(月) 13:50:21.95ID:je9CxuVG
しかし、全く別のもう一つの反作用もあった。

堅固に組み上げられた軍隊にまつわる諸制度は、戦争遂行を社会の他の部分から切り離した結果、
社会的、政治的な力にとって不十分な具となった、と見る人々がフランスにはいた。

これらの力は、十八世紀後半の静かな表面下で力を集め始めたもので、
新しい種類の軍事組織、新しい戦争方式にその表現を見出ださねばならない力であった。

これらの代弁者の一人がジャック・ド・ギベール伯あり、
その著作「戦術概論」は同時代の戦争遂行に対する痛烈な攻撃で始まっている。
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2019/12/23(月) 14:08:13.03ID:je9CxuVG
「我々は、十分に召集されてもいず、適切に支払われてもいない軍隊をもって戦端を開く。
勝つにせよ、負けるにせよ双方の側は等しく疲弊する。
国債は増し、信用は低下し、金は消失する。
海軍も陸軍ももはや兵を見つけられなくなる。双方の側の大臣達は交渉の潮時だと感じる。

講話が結ばれる。
二、三の植民地や州の所有権が変わる。
しばしば紛争の原因は未解決のまま残り、どちらの側も廃虚の中に座し、
借金を返すこと、武器を研ぐことに忙殺される。

しかし、次のような国民が欧州に生まれることを仮定してみよ。

その精神においても資源においても政府においても活力のある国民。
厳格な徳と国民的市民軍が一緒になって決定された膨張政策に向かう国民。
その目的を見失わず、いかに安く戦争をするか、いかに勝利によって生活するかを知り、
財政的制約から武器を棄てることを余儀なくされない国民。

そのような国民が、まるで北風が柔らかいアシを揺り動かすように、隣国を屈服させ、
その脆弱な体制を打倒するのを、われわれは見ることになるであろう。」

われわれは。
見ることになるであろう。
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2019/12/23(月) 14:17:24.42ID:je9CxuVG
ギベールは、このような出来事が実際に起こるとは期待していなかった。

「欧州には強力であると同時に新しい国家はもはや存在しないから、このような国民は生まれないだろう。
欧州諸国は同じように成長し互いに堕落させあっている。」
と、悲しげに続けている。

ギベールは、1791年に死んだ。
彼の瞠目すべき預言が、現実になり始めるのを見るには、彼の死は一年ほど早すぎた。

Grande Armee!
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2019/12/25(水) 23:59:14.13ID:EF28SNk/
「革命の戦争」

革命フランスと隣国との間で1792年から1815年まで25年間未曾有の規模で間断なく戦争が続いた。
その結果、君主がいかに勤勉で国民の利益に献身しても、国家は王朝君主の「家産」とは見なされなくなった。
「自由」「民族性」「革命」といった抽象的概念によって、国民の大多数は、
国家の中にいかなる犠牲を払っても惜しくない絶対善の具現化を見ることができるようになった。

この時代を生きたカール・フォン・クラウゼヴィッツが認めたように、戦争は国家政策と別個の活動ではなく、
他の手段をもってする国家政策の実施であった。

国家がその性格を変えれば、政策も変わるだろうし、戦争も変わるだろう。
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