『アメリカ第二次南北戦争』 佐藤賢一(著)

アメリカ合衆国とオウム真理教、両者の類似性は、第一にネーミングの幼稚さ、第二にハイテク志向、第三に行動の粗雑さに象徴している

第一についていえば、かってオウム真理教は空気清浄機を「コスモクリーナー」と呼んだが、さる大ヒット漫画からの借用と目される用語に現れるのは劇画と現実の混同に他ならない
こちらが漫画であるならば、あちらは映画というわけで、アメリカが自らの軍事侵攻を、「ジャスト・コーズ(正しき理由)作戦」、「レストア・ホープ(希望の回復)作戦」、「エンデュアリング・フリーダム(廃れない自由)作戦」等々と
映画のタイトルさながらに名づけてきた感覚には「一種の娯楽性さえ感じられないではない」のである。

劇画と現実を混同させる感覚には、「科学技術に寄せる無批判的な妄信が隠れている」、通常は現実になどなりえない劇画の世界が、ハイテク技術を用いることで可能になる、少なくとも可能になると錯覚できるがゆえに、その傾倒は決定的なものになる
この第二の類似点は、オウム真理教においては毒ガスの開発に結びついたし、アメリカ合衆国においては、言うまでもなく数々のハイテク兵器となった。

が、その割には第三の類似点として両者とも実際の行動には精度を欠き、世辞にも緻密であるとの印象は受けない
現に「長野松本サリン事件」のオウム真理教は、さる司法関係者に標的を定めておきながら、風の動きを計算できずに、無関係な近隣住民を毒牙にかけることになっている。またアメリカ軍も「ピンポイント爆撃」との触れこみに反して、誤爆を繰り返すことで有名なのである。

「両者ともに要するに安易なのだ。人命に係わる重大事さえ軽々しく扱えるという、特有の行動原理を分析すれば、その根底にはある種の選民思想を伴わせる、独善的な世界観しかありえない。

いいかえれば、「両者とも神を愛するのでなく、愛する自分を肯定せんがために神を用いようとする。それが神であるかぎり、なにものにも否定されることがないからである」
少なくとも、その独善的な世界観の内にあっては・・・