【コラム】人民軍統治下のソウル、地獄の3カ月 (朝鮮日報 6/30)

>「弥阿里(ミアリ)峠を車よりも大きいものがゆっくりと下りてくる。 大砲が当たってもびくともしないという北の戦車ではないか。
>敦岩洞の通りにはおかしな軍服を着た軍人たちが隊列を組んで行進している。
>世の中はひっくり返ってしまった。 我々は否応なく一夜のうちに大韓民国ではない別の国の庶民になってしまったのだ」

>金教授の日記によると、南侵3日目の6月28日、既にソウルの通りでは赤旗を振り、万歳を叫ぶ人々が現れた。
>金教授は「その中には前日まで(右派の)大韓青年団の腕章を付けていた青年もいた」と書いた。
>学校に人共旗(北朝鮮国旗)がはためき、7月初めには各家庭に人共旗が掲げられ、塀には
>「人民共和国万歳」「英明な金日成(キム・イルソン)将軍万歳」「スターリン大元帥万歳」といった壁新聞が張られた。
>男女の学生らが人民共和国支持のデモを毎日のように行った。
>大韓民国の長官、学者がラジオに出演し、「李承晩(イ・スンマン)逆徒」を非難した。
(中略)
>金教授はこのころのソウルで最大の問題は食料不足と幼い学生の義勇軍動員、一般市民の突然の「転出」だったという。
>教室で誰かが「行こう」と言うと、誰も反対できずに結局戦場に送られた。保護者は地団駄を踏むだけだった。
>突然党の指示だといって、無計画に他地域に転出させられることもあった。
>ほとんど死ねと言われるに等しい衝撃だった。ソウル大教授は「過去の清算」だとして、「建設隊」に志願するよう求められた。

>人民共和国はあらゆる改革とやらを実行した。 8時間労働制、性別・国籍不問の均一賃金制、労働保険制度、妊婦保険制度などだ。
>実情は真逆で、ただの宣伝、扇動にすぎなかった。
>ソウルの左派政党、左翼系新聞は自分たちの世の中が来たと思いきや、真っ先に消え去った。
>勤労人民党は跡形もなく消え、教職員労組も解散させられた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190628-00080173-chosun-kr

最後のオチが秀逸ですなぁ。 体制がひっくり返れば自分たちが特権階級になれると思い込んでいた左翼政党や左派新聞が
当の共産主義政権の手でイの一番に粛清されるのだから。