昭和帝に関して"戦争責任論"を遠慮なく振り回してきたはずのアカい戦後史学が
なにゆえに伏見宮をここまで手付かずの状態で放ってきたというのが闇を感じる
もしかすると大物を追いかけるあまり、ここをおろそかにしていただけだったりするかもしれんが