>>753
違うな。

例えば「妙高」型の魚雷発射管搭載の件で言うなら、ヒラガーが必死で排水量内での設計検討を実施した結果、
早いうちに、「軍縮条約の規定を遵守して砲10門と魚雷発射管の両方を搭載するのはムリ。砲と魚雷のどっちを
優先するのか、軍令側で決めてくれ」と軍令側にアラートを出している。

で、そのアラートを受けたのが加藤寛治だ。
加藤寛治から「砲優先」って返事をもらったヒラガーが、魚雷発射管を省いた「妙高」型の原案を軍令側に提示する。

ところがその席上では水雷側の恨み節が飛び交って(どうも加藤寛治は水雷側との調整を全くしておらず独断で砲優先を
きめたようで、水雷側には寝耳に水の話だったようだ)、だが提示された原案を翻すだけの材料も無かったので不満を
漏らしたまま原案の提示会議は終わったようだ。

で、我々もよく知る藤本がヒラガー出張中に魚雷発射管を追加した原図を出す、という流れになる。

だが、幾ら留守を預かるからと言って単なる一課員である藤本が独断で発射管の追加なんかできる訳が無い
(妙高型が砲優先になるのは海軍省が訓令出して決めた事だから)。

その辺の直接のバックになっているのは山本開蔵とかだろうが、山本開蔵のバックに伏見宮が居た可能性は
高い。
根拠としては、「海軍水雷史」の発行当時、当時存命の水雷屋の主なところが寄稿をしているんだが、
存命中の水雷屋のトップである島田繁太郎が特に伏見宮に感謝の一文を態々加えているんだな。