国力の限界は最初から分かっていたことだが・・・

【日本の戦艦、重巡 建造計画】
マル3計画(1937年) 戦艦2隻(大和、武蔵)→真珠湾攻撃時には未完成だった。
マル4計画(1939年) 戦艦2隻(110号艦、111号艦)
マル急計画(1941年) 戦艦0隻、重巡2隻(伊吹、301号艦)
マル5計画(1942年)▲戦艦3隻(797号艦、798号艦、799号艦)、B65型超甲巡2隻
マル6計画(1944年)▲戦艦2隻 超大和型(10万トン級?)、B65型超甲巡4隻→マル6計画艦の完成は"1950年"の予定だった

▲ミッドウェー海戦大敗でマル5計画は大幅修正、マル6計画は消滅
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【アメリカの戦艦、重巡 建造計画】
1937年度計画 戦艦2隻(ノースカロライナ、ワシントン)→真珠湾攻撃時には大西洋艦隊所属
1938年度計画 戦艦4隻(サウスダコタ、インディアナ、マサチューセッツ、アラバマ)
1939年度計画 戦艦2隻(アイオワ、ニュージャジー)
1940年度計画 戦艦4隻(ミズーリ、ウイスコンシン、イリノイ◎、ケンタッキー◎)、ボルチモア級重巡8隻
戦時計画    ボルチモア級重巡16隻、デモイン級重巡12隻

◎両洋艦隊法計画艦 アイオワ級戦艦2隻追加、モンタナ級戦艦5隻、アラスカ級大型巡洋艦6隻など・・・

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【ドイツの戦艦建造計画(予算承認済みのもの)】
1937年度計画 戦艦1隻 フリードリヒ・デア・クローゼ (ビスマルク級戦艦の拡大改良型で同型艦6隻を予定していた)
1938年度計画 戦艦2隻 グロースドイッチュラント、ヒンデンブルク 
1939年度計画 戦艦1隻 (艦名未定)

全艦建造中止、Uボートに注力。設計はその後も継続し、13万トン以上の超巨大戦艦の計画もあった