途中までレインボー2だったからね。
それがフランスの脱落で変わっていく。
チャーチルからシンガポール防衛への協力を求められ、一度はヨークタウン基幹の空母機動部隊の派遣を命令するが、
陸海軍及び政府内部の意見によって1941年3月にチャーチルからの提案を正式に却下するに至る。
イギリスだけに大西洋を任せるのは危険すぎるという判断だ。
これがなければヨークタウンは大西洋回りで移動して3月にはマニラが母港となっていた。
そして大西洋攻勢、太平洋防勢のレインボー5の採択により、
6月には太平洋艦隊から有力戦艦、空母が引き抜かれ、日本海軍に見劣りする戦力となる。
これを受けて太平洋艦隊では方針の大転換が行われる。
つまり日本海軍をおびきだして迎撃するという従来とは真逆の構想。
これが日米開戦前の最後の作戦計画。