[寄稿]日本はなぜ韓国を「取り戻すべき故郷」と言うのか
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/34130.html
日本は自分たちの隣国を時には辺境と見なし、時には起源の地と見なして、自分たちの侵略を合理化した。
このような日本の自己矛盾的歴史観が、今なお近隣諸国を意図的に無視する態度として現れているのである。
日本は米国と西欧国家には過度なまでに低姿勢で、被害の当事者である韓国と中国には極度の反感と嫌悪感を示す。
すなわち自分たちの「故郷」を植民地にしたつもりだった。
過去100年余りに及ぶ日本人の歪曲された韓国観は、自己矛盾的歴史観の産物である。
日本は韓国を正式に侵奪するはるか前の1899年から、韓国の文化財を調査し始めた。
元々、日本の朝鮮半島調査の目的は、日本人の起源を探すためのものだった。
代表的な学者が、東京大学人類学教室の鳥居龍蔵(1870〜1953)だ。
当時韓国で暮らしていた「未開な」土着韓国人を探すためだった。
今、嫌韓勢力が韓国を馬鹿にし蔑視する論理は、すでにこの時から始まっていたと言っても過言ではない。
私たちが記憶しなければならない点は、彼が日本軍国主義の信奉者だったという事実である。
故郷の徳島に北方式ドルメン形態の墓を作って自分を埋葬してほしいとの遺言を残した。
しばらくの間タブー視された彼の名前は、1980年代以後に日本の影響力が拡がり復活した。
彼の名前が四方で言及され、さらに「鳥居学」と彼の研究を神格化して従う研究者が増えている。
もちろん、彼が残した写真やその他のさまざまな資料の学術的な意味を無視することはできない。
それにより日本帝国主義の考古学者たちが朝鮮半島を眺める観点も変化した。
すなわち金石併用期と北方文化論が登場したのである。
しかし日帝は、この用語を朝鮮半島に取り入れて、韓国人はまともな青銅器や鉄器を使うことができなかった
劣等な人種という意味に誤解して使った。別の日本帝国主義考古学者の観点である北方文化論は、
日本人の起源を朝鮮半島を越えて北方満州と見る理論である。
このような日本人の態勢転換は、1920年代から露骨化された満州と中国の侵略に関連がある。
自分たちが侵略しなければならない土地は、元々は日本人の起源の地だから、
侵略ではなく故郷の回復であるという強引な論理だった。