スマホからコピペはめんどくさいのでPcからウィキーペディアの海原長官の記事

海原の自衛隊論は、「自衛隊はどうせ実戦の役に立たぬのだから、同じことならカネのかかる海空より、安あがりの陸に重点を置くべきだ」という「自衛隊オモチャ論」であり、
・自衛隊にカネのかかる外征的装備を一切持たせず、海自には沿岸防備のみをやらせて、
・正面装備中心から兵站や弾薬などの補給備蓄などに注力し、国民に一定期間の軍事教練を施して編成された民兵組織である「郷土防衛隊」を作って本土に上陸してきた敵軍に抗戦するという「日本列島守備隊論」を
・シーレーン防衛を重視する海上自衛隊のヘリ空母構想や、洋上防空を目指していた航空自衛隊の早期警戒機・空中給油機導入計画に反対
・国産超音速高等練習機T-2ならびにその改修型戦闘機F-1の開発を巡っては、コストの面から国内開発の放棄とF-5の導入を強く主張した。
・61式戦車の開発においては重量25トン以内を主張し、結果として61式戦車が35トン級として完成した後も自説を曲げなかった。

内局の海原派と制服組の対立が激化していた昭和42年の春から夏にかけての防衛庁参事官会議において、海原は荒れ狂い、
海外の航空専門誌の最新号を読んでいるかどうかを空幕長と防衛局長に質問し、相手が読んでいないと答えると、「幕僚長も防衛局長もどっちもどっちだ。話にならん」

建前上は民兵であっても事実上の徴兵制になっただろう郷土防衛隊は実現が難しかったでしょう
共産党支配体制では実現したかもですが・・・仮に実現していたら海自の人手不足解消に利用され、いじめを苦にした自殺事件よりひどいケースが艦内で発生したかもです。