まあハングルで書かれた文献論考が大量に存在していて、
かつ抽象的な思考の記述に最適化した文語の語法と語彙が充実してれば何の問題もなかったんだけどね。つまり問題しか無い。

つーか文字と筆記はあくまでも思考を外部化するツールでしかないんだが、
”そのツールの利用者であることの便益”に考えが至らないまま優劣を論じるあたりが愚民の愚民たる所以よな。