1950年7月、朝鮮戦争開戦初頭のこと。

米空軍第19爆撃航空軍に下った命令は、
「ソウルに入る、ある鉄道橋を爆撃で落とし、鉄道を遮断せよ」。

しかし、B29が1か月に渡り、1000ポンド、2000ポンド、
果ては4000ポンド爆弾で繰り返し爆撃しても、
橋床部分は何度も吹き飛ばすことができたが、橋そのものは落ちなかった。

日本統治時代にこの鉄橋を架けた日本の建設会社が橋の設計図を提供し、
基礎が丈夫に出来ていることを知った第19爆撃航空軍は、
基礎の破壊は無理でも上部構造に被害を与えられれば、と、爆弾の信管調定を変更。

この苦戦を知ったマッカーサー元帥は、
「この橋を破壊したクルーは称賛に値する」と言明、
それを受けたストラトメイヤー将軍は、
破壊を成し遂げたクルーにスコッチ1箱をプレゼントすると約束。

8月19日、ついにこの橋は落ちたのだが、
この日、橋に爆弾を命中させたのは第19爆撃航空軍のB29のほか、
海軍の攻撃機部隊も急降下爆撃により8発を命中させており、
直後に海軍機が橋の損害を確認したところ、まだ落ちてはおらず、

8月20日、第19爆撃航空軍が攻撃をかけようとしたところ、
夜中に落ちたのか、橋桁が水中に落ちていることを確認、
残っていた橋桁の一部を落とすことに成功。

第19爆撃航空軍と海軍第11飛行隊はどちらもマッカーサー元帥からトロフィーを贈られ、
ストラトメイヤー将軍は、双方にスコッチ1箱ずつを進呈したという。