実はシベリア抑留ならぬノモンハン残留日本兵というのがいる
元々関東軍はソ連に捕まった捕虜も受け入れるつもりだったのだが陸軍に文句を言われてしまい、特に将校の捕虜には自殺強要することを強いられる羽目に
事情を知ったソ連人は労働力の確保のためかなんなのか、日本人捕虜を移民として受け入れ始めた
生活状況はピンキリながらも、(恐らくまとまって反乱起こさないように)日本人同士を分散させることを除けばはソ連人と対等以上には扱ってもらえたらしく
シベリア抑留兵とよく鉢合わせしていた
元々家族が虐められないように残留を決意した人なので、抑留兵に自分の本名や住所を教えることは決してしなかったらしい
ソースは確か残留日本兵 - アジアに生きた一万人の戦後


ここで疑問なのは、日本軍の捕虜への処遇が厳しくなったのは八路軍の虐殺がきっかけという定説が崩れること
陸軍にどういう変化があったんだか…