イタリアのスクーターベスパ
イタリアの四発爆撃機ピアジオP.108を製造するトスカーナのポンテデーラ工場が
連合軍の爆撃により壊滅し、そこに残っていたP.XIIエンジンのエンジンスターターの
製造機材を使って小型エンジンが作れる所から始まった

ベスパの設計を行ったコラディーノ・ダスカニオはイタリアのヘリ開発の第一人者で
バイクが大嫌いだったが航空機開発が禁止され他に仕事がなく嫌々行った

嫌いな理由の跳ねた泥やチェーンから飛び散る油で服が汚れるからで
フルカバードのモノコックボディはレッグシールドからステップボードに繋がり
下半身に風が来ないようになり、後輪にエンジンがダイレクトに直結され
チェーンが無くなりチェーンから跳ねる油がなくなった
現在当たり前のように走っているスクーターはダスカニオの潔癖症から生まれた

ダスカニオはその後は民間利用の航空機開発が解禁されるとアグスタで
ヘリ開発を続けたが開発禁止期間の差は埋め難く量産機は実現しなかった
それでも大学教授として最後まで航空機デザイナーであり続けた

ダスカニオはイタリア共和国功労勲章を受賞した理由がベスパの設計だったので
航空機に捧げた自分は人生は何だったのとへこんで体調を崩し90歳で亡くなったらしい