1940年代後半、地対空ミサイル(SAM)が実用化されると、各国で、この運用を陸軍と空軍のどちらに任せるか、論争が起きる
我が国も例外ではなく、議論の結果、SAMは陸上自衛隊の保有となった

一度、結論が出たはずのこの議論が蒸し返されたのは、1960年代のことであった
当時、急速なミサイル技術の進歩により、ミサイル万能論が巻き起こり、外征も必要な諸外国はともかく、本土防空しか行わない我が国には、
戦闘機は不要、SAMだけで十分との主張が、説得力を持って語られたのである
採用が決まったF-104が「最後の有人戦闘機」と呼ばれたことも、この主張を後押しした
組織存亡の危機に瀕した航空自衛隊は、SAM部隊は空自が保有すべきと強く主張、結局、ナイキ部隊を陸自からもぎ取ることに成功する

その後、ベトナムや中東の戦訓により、ミサイルの限界と、有人機の有用性が認識され、ミサイル万能論は過去のものとなったが、
長距離・高空用SAMは空自、短距離・低空用SAMは陸自という区分は、現在も続いたままである