>>723
木村少将が一次作戦の企図放棄後に5F司令部の再三のせっつきにも
応えずに阿武隈艦上で釣り糸を垂れていたのは有名な話で、複数の目撃者も有る。

5F側は燃料事情が逼迫している状況で再度の撤収艦隊出動は
時期が遅れれば遅れる程燃料の面からも厳しくなるのを恐れていたし、
1Sd側は気象情報が最良のタイミングをひたすらに待っていた訳で、
これだけではどちらが悪い、と言う話ではない、

但し、5Fが二次作戦の時に態々旗艦に多摩を指定して撤収行動寸前まで
ずっと付いてきた事には「燃料が足りないと文句言ってた癖にただ付いてくる
だけに軽巡一隻動かすとは何考えてる」と批判があったのも事実。