最近関ヶ原の再考本読み漁ってるが
だいたい有名なエピソードは江戸中期に、「うちのご先祖様すごい! 」とするための
二次資料ばかりで、どう言う過程でどう戦闘が行われたかかなり不明だと言うことにびっくり

そこまで激戦はなかった説が出てきて

説1 毛利、宇喜多がやる気満々で石田三成、大谷吉継はむしろ唆された説
説2 毛利は元々、東軍寄りの中立で、西国への戦闘はドサクサ紛れのネコババ狙い説


同じ仮定からも、全然違う二つの説になっとる