>>814
wikiのだけど

事件当初、様々な説があったものの、その後、アメリカ合衆国、セルビア側の双方で公表され、当事者のインタビュー記事などもあり、概容は判明している[6]。
迎撃したのはユーゴスラビア防空軍第250地対空ミサイル旅団第三中隊[6]で、同部隊は開戦と同時に従来のミサイル基地から秘密基地に移動しており、
開戦後数日で従来のミサイル基地にやってきた3発の巡航ミサイルからの被爆を回避していた。
F-117の撃墜時刻に任務分担についていた8名の班の指揮官名はダニ・ゾルタン中佐[6]。
撃墜に利用された兵器は1960年代初期に登場した中低高度用対空ミサイルS-125N ネヴァー(西側名称SA-3ゴア)[6]である。
当時のS-125の射撃管制システムは、目標捕捉レーダー、追跡管制レーダー、高角レーダー、TV追跡システムからなり[6]、
この第三中隊では西側の新鋭軍用機に対応する為に射撃管制システムを改良しており、レーダーの送受信機を改造して
長波長、低周波数の電波を利用してF-117の探知を可能にしていたとされる[6]。F-117に対して発射された2発の対空ミサイルの内、一発がF-117の左翼を直撃し、F-117は墜落した

https://ja.wikipedia.org/wiki/F-117_(航空機)#唯一の被撃墜例