>>342

いかなる日本軍へのバッシング、マッカーサー礼讃も【マッカーサーは日本軍にびびってオシッコをもらした】で常に完全論破できる。

「マッカーサーは午前三時過ぎ、側近からの電話で真珠湾攻撃を知った。
彼は宿舎のマニラホテルから米極東軍司令部に出向いたが、その時点から丸半日、沈黙する(中略)
真珠湾から半日たった午後三時五十分、マッカーサーの執務室をセイヤー高等弁務官が訪ねたが、
彼は部屋の中を行ったり来たり(増田弘『マッカーサー』)
ただ狼狽えるだけだった。半日間、彼は何を下命すべきか何も分からずに過ごしたのだ(中略)
マッカーサーはその後、バターン半島の先、コレヒドール島に逃げ込む(中略)
マッカーサーはただおろおろし、虎の子のB17を失い、なお
日本軍主力部隊のリンガエン湾上陸の阻止もできなかった(中略)
彼はそのトンネルの入り口で半日を過ごし、目の前のバターン半島で戦う部下をよそに
毎日、新聞発表を送信していた。まるで米軍が勝ち続けているみたいな内容だった。
三カ月後、バターンの陥落が見えてくると、彼は
I shall return
の一言とすべての将兵を残して魚雷艇で逃亡した(中略)
マッカーサーが敵前逃亡できた最大の理由は
英軍司令官パーシバルがシンガポールで日本軍の捕虜となったからだ。これで
米軍司令官まで捕虜ではさすがの白人連合も恰好がつかない(中略)
彼が厚木に降り立つ二日前、先遣隊百五十人がC46輸送機などでここに飛来した。
彼らはつい昨日まで最前線で日本軍と渡り合ってきた猛者たちだが、着陸を前に
我々はひどく興奮し、怯えていた(週刊新潮編集部編『マッカーサーの日本』)
と、一番機に搭乗していたフォービアン・パワーズ少佐が語っている。いかに怯えていたか。

厚木の凱旋将軍 「マッカーサーは失禁していた」
http://ironna.jp/article/2747?p=4