>>851
残虐行為はニューギニア近海でもおこなわれました。
昭和18年3月3日に起きたビスマルク海戦(空襲)の結果、陸軍の兵士を乗せた輸送船八隻と駆逐艦四隻が敵機の攻撃により沈められましたが、
沈没した日本の艦船からボートや筏で逃れ、浮遊物につかまり漂流中の千名の兵士達に対して、アメリカとオーストラリア軍の飛行機が低空から機銃掃射をおこない、
機関銃の弾を撃ち尽くすと基地に戻り弾を補給し、映画撮影のカメラマンまで乗せて何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けました。

「決して男らしいやり方ではなかった」と第五爆撃隊のある少佐は戦闘記録の中で報告していました。「隊員の中には気分が悪くなる者もいた」

救命ボートやその周辺を文字どおり血の海に変えたその殺戮の様子を、機上から撮影した実写フィルムが十年ほど前にオーストラリアのテレビ局から放映されて、国民に大きなショックを与えました。
「我々はフェアーな戦をしたと思っていたのに.....と」。(容赦なき戦い、ジョン・ダワー著)

ちなみにハーグの陸戦条約第23条では、兵器を捨てた自衛手段を持たない漂流者に対する攻撃を禁止していました。