>>681
それまた現代の視座に毒された考え方。
独ソ戦が始まったのは1941年。
その年もイギリスは1940年に続いて自国の年間建造量の2倍に相当する商船を失った上、
それを補うべきリバティー船の大量就役(1943年6月頃)もまだまだ先であり、
冗談抜きで通商破壊戦で干上がるところだった。1942年はその1941年を上回る大損害が
出ており、少しも戦況を楽観できなかった。明るい材料は北アフリカ戦線の勝利とトーチ作戦くらい。
1943年春、根競べに負けたドイツ海軍がアメリカ沿岸を除く大西洋から北海まで哨戒線を
後退させるまでは、イギリス国内では戦争継続が深刻に危ぶまれていたくらい。
1943年も自国年間建造量の倍に値する船腹が失われたことに変わりはなく、1944年でさえ
その割合が同7割が沈められたことを考えるに、アメリカのリバティー船の大量就役は
際どい所でイギリス救援に間に合ったと言える。

ソ連との開戦はイギリスの孤立化を狙った他、東方生存圏の獲得というナチのイデオロギーも
絡んでのことだから意味不明か、と言われるとそうでもない。
後出しジャンケン的には、あのタイミングで始めないでもと言えるけど。