三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)は、清朝皇帝の前でとる臣下の礼の1つ。
単に三跪九叩頭または三跪九叩と呼ばれる場合もある。

叩頭 (hengkin) とは額を地面に打ち付けて行う礼である。三跪九叩頭の礼では、

「跪」の号令で跪き、
「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「起」の号令で起立する。
これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。

(朝鮮はみんな知ってるので省略)

琉球王朝
琉球王朝は冊封使を迎えるために立派な門、通称守礼門(写真下)をつくり、
「守禮之邦」の扁額を掲げ、宮殿にてこの三跪九叩頭の礼をとっていた。
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イギリス
1793年、イギリスの外交官ジョージ・マカートニーは、乾隆帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、
これを拒否してイギリス流の儀礼を押し通した。貿易改善交渉、条約締結は拒絶され、帰国した。
1813年にはウィリアム・アマーストがやはり三跪九叩頭の礼を拒否し、嘉慶帝への謁見が許されなかった。

日本(明治時代)
1873年、台湾出兵の処理に赴いた特命全権大使副島種臣は、同治帝に謁見した際に
三跪九叩頭の礼を要求されるが、古典(五倫)を引用して立礼を主張し、最終的に立礼で通した。
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琉球は本当に恥ずかしいな。守礼門はせっかく沖縄戦で破壊されたのに戦後に再建してるの。バカみたい。