>>341
>向こうの歴史教師がここ50年かけて「韓国は戦勝国」「連合国の一員として枢軸国を敗退にお導いた」と

でもWWUの戦勝国の集まりであるサンフランシスコ条約の場には韓国ちゃん呼ばれませんでしたしねぇ。

だから最近の韓国ちゃんは火病ってサンフランシスコ条約そのものを全否定したいようですが、それを国是にしてしまうと対米関係が
ガチで揺らぎレッドチーム入りまっしぐらって事をどんだけ自覚しとるのやら??


韓日葛藤の根源「サンフランシスコ体制」何が問題だったのか (中央日報 11/8)
https://japanese.joins.com/JArticle/259398?sectcode=A10&;servcode=A00
(前略)
サンフランシスコ講和条約は第2次世界大戦を終焉させるために日本と連合国48カ国が結んだ講和条約だ。
1951年9月8日、米サンフランシスコで調印されて翌年4月28日に発効された条約にしたがって国際法上日本の韓半島(朝鮮半島)支配も
完全に終わりを告げた。

だが、連合国と日本の間の条約締結は戦後補償問題など懸案を蔑ろにした結果を生んだ。
韓国は日本帝国が行った4回にわたる戦争(1894年日清戦争、1904年日露戦争、1937年日中戦争、1941年太平洋戦争)の最も大きな
被害国であるにもかかわらず、1910年日本に「併合」されてその領土になったという理由で会議に招待すらされなかった。
強制併合の結果によってもたらされた地位が参加排除の理由になった。
侵略行為を懲らしめる講和会議が侵略行為を正当視する格好になったわけだ。

サンフランシスコ講和条約は当時、北東アジアに脅威となってきた共産勢力の阻止のために日本を条約を締結できる国にするのが目的だった。
すなわち、後続の「日米安保条約」の締結のための手順だったというのが学界の見方だ。
慰安婦問題、徴用者問題、独島(ドクト、日本名・竹島)問題などもサンフランシスコ体制の産物だ。
韓日間「1965年体制」および韓日米と中露朝の対立構図もこの枠組みの中で生み出された。
したがって、国際学界ではポスト・サンフランシスコ体制のためにサンフランシスコ体制の肯定的・否定的側面を批判的に検討する必要が
あるという声が高まった。(後略)