>>230
あー王朝ごと傾向が異なるから、一緒くたに考えない方が良い

派閥(=朋党)を組んだ官僚の取り扱いには、あの雍正帝ですら手を焼いたのは事実けど
一方で、清代には明ほど派閥抗争は酷くなかった・皇帝が官僚層から浮き上がらなったとも言えるわけで
(明後半の官僚の派閥抗争は、宦官も絡んでグチャグチャになったせいもあるけど)



では、なんで清だと宦官層の跋扈は見られなかったというと、、後金以来の八旗という旗本的存在がいたからでもある
宦官の代わりに、八旗が皇帝の手足となって、統治を助けた
血縁的官僚(八旗)と科挙官僚を組み合わせた統治体制だったのは大きい