五式戦を装備した飛行第59戦隊は、P-51となら対等、F6Fなら問題無し、F4Uならカモと評した[102]。第244戦隊長小林照彦少佐などは「五式戦をもってすれば絶対不敗」とまで言ったという[51][103][44]。

実際の操縦者たちからも、好意的な証言が多く見られる。

飛行第244戦隊第1中隊長生野文介大尉は弾切れの状態で8機のP-51と交戦するなどしたが、五式戦闘機でP-51に撃墜されないことについては絶対の自信が有ったと証言している[104]。

「義足のエース」として著名な檜與平少佐も、稀代の名機であり[105]、旋回性が良いため無理をしない限り絶対に落とされる機体ではないと評した[105][105]ほか、方向舵ペダルの形状から自身の義足を改造する必要はあったものの操縦は容易で性能は十分に満足できるものであり、P-51に旋回性能で勝るのみならず[105]、中高度であれば速力でも劣らなかったと言う[105][106]。エンジンについては檜 (1985) では整備が楽で100%近い稼働率を誇り信頼性が高く[105]、全開での連続運転にも大いに信頼がおけ、三式戦闘機とは天地の差である[105][107]、せめて半年前にこの機体が出来ていれば戦局も変わっていたのでは[105]など、賛辞を惜しまない。檜 (1999) では信頼性100%稼働率100%であるとまで記している。

ようは、エベンキ蝦夷というキチガイ国賊がおらん蹴れば日本は負けることはないということや