物集高量
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e7%89%a9%e9%9b%86%e9%ab%98%e9%87%8f
以下所業抜粋
・稚児趣味(ようは少年愛)を持つ少年グループ同士の乱闘に参加し、警視庁谷中警察署に補導される。
・馬賊の頭目の王国立と交際。将来満洲を支配すると断言した王により、その暁には物集を文部大臣に任命すると約される。
・1909年、スリの親分“湯島の吉”に弟子入りを志願したが、脚が悪いので断られた。このころ、博打や女遊びや稚児遊びに興じ、久松の賭場を潰す。
・1923年には花札賭博の罪で警視庁に逮捕勾留された。留置場で3日間を送り、検察庁で取調べを受ける当日に関東大震災に遭遇、賭博罪では不起訴処分となった。

目の前にはいて欲しくないが放蕩息子も極まれば100まで生きるんやなと感心した
某事務次官の息子もこのぐらいのスケールをもっていればどうなってたやら