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易幟(えきし)とは、1928年6月4日に発生した張作霖爆殺事件の後、
父・張作霖の後を継いだ奉天派の張学良が、北洋政府が使用していた五色旗から、
蒋介石率いる国民政府の旗である青天白日満地紅旗に旗を換え、
国民政府に降伏した事件のことを指す。

1928年12月29日、国民政府はこれを受け入れた。
この易幟により、蒋介石の北伐は終了し、中国国民党が形式的に中国を統一した。

満州人は金による中国統一後に首都である北京に集団移住し、
漢民族への同化が進み、満州皇室ですら満州語を失うほどだった。
ロシアへの脅威から辺境の満州に漢民族の大量移住を許可し、
満州の住民の大多数は漢民族になる。

紫禁城追放と清東陵略奪により、国民政府への反感を持ち皇帝復帰への欲があった
溥儀は満州国建国に協力した。
満州国建国には国際法的にも住民の民意的にも整合性がない。

当時の日本政府はそれをわかっていたが、憲法上、軍は議会の統制下になく、
自由に動けるといういわゆる統帥権問題で石原寛治の暴走を許した。
支那事変も、石原寛治の前例から陸軍が議会を無視して勝手に戦争を始めたのが原因。
満州事件の段階で昭和天皇が憲法第11条を廃止すればよかった。

戦前の段階で通常選挙による、立憲政友会と立憲民政党による二大政党政治まで
やってたんだから日本は本当にもったいないことをした。