現実の共産主義国家がほぼすべて指導者層の個人崇拝、
「党は偉大な人民の父」みたいなパターナリズムや全体主義に陥ることを見ても結局珍しいことじゃなくて必然なのかもしれぬ
そして言論の自由もないことも(言論の自由に限らないが

>>316
【平成に生まれて】(5)シールズのその後(上)

>冷たい風が吹きすさぶ昨年末、都内のIT企業で働く後藤宏基さん(25)
>社会人2年目。
>日々、営業に汗を流し、スーツ姿が似合うようになった。
>新聞社を志望したがかなわず、利益第一の仕事を「ゲームのような感覚」でこなす。釜ケ崎に足を運ぶのはそんな日常から離れ、「少しでも社会のことを考えて行動できる場所。切っても切り離せないライフスタイルかな」。

>実名で取材に応じるのも久々だ。
>「学生の頃は、社会運動への参加を理由に採用しない会社は『こちらからお断りだ』なんて思っていた」。
>だが、今は違う。政治について積極的に発信することで再び炎上し、会社や取引先に迷惑を掛けないかと不安になる。
>「学生の時は『大人が何もしないから僕ら学生が行動しなきゃいけない』なんて言っていたけど、今はこの生活を手放すことはできないよ」。申し訳なさげに空を仰ぐ。
>だからこそ、年末の休みを利用して釜ケ崎に足を運び、社会について語り合える仲間と過ごす時間は貴重だ。学生時代に自ら発した言葉との乖離(かいり)にがくぜんとする。
>それでも、かつてのスピーチを思い出せば背中を押され、もがきながらも伝えようと思える。「あなたの話をしっかり聞いてくれる仲間がきっといるはず。一緒に立ち上がりましょう」

結局、予想がついたような着地点ではある
一応就職できただけ上澄みのほうなんだろうな

意地悪に考えりゃ「カルト教団にいると世間からセルフ隔離されて、余計にカルトの内部の仲間意識に依存しだす」
構図にも見えなくもないが
まあ貧困支援活動が役に立ってりゃそれでもいいか