>>323
逆でない?アルゼンチンでは親枢軸派の軍部が中立を堅持してたんだけど、他の米州会議加盟国とのあまりの温度差に不快感を示したアメリカが圧力を加え、
中立政策を堅持してたカスティージョ政権がローソンのクーデターで倒され、ラミレス政権が1944年1月にようやく対枢軸国交断絶を敢行。

しかし枢軸派のペロン(後の大統領)が当時のファレル副大統領を擁立してラミレスを追い出し、ファレル政権下で引き続き対枢軸参戦だけは断ってたが、
当然難色を示したアメリカの圧力により米州会議で「アルゼンチン問題」が討議され、ついに1945年3月に渋々ながら対枢軸線宣戦布告してる。

つまりアルゼンチンが積極的に連合国参加に乗り出したことも、それをアメリカが拒否したこともなくて、まるっきり逆。