それってつまり自陣を出た瞬間にもう進行部隊に補給する手段自体途絶するって事だけど
じゃあそもそも司令官達はどういう展望を持って各会戦は開始したのか?
全く補給が届く見込みが最初から無くて無策でとにかく前進させたのか
鉄道が無くても徒歩や馬車や自動車で十分補給できると思い込んだけどできなかったのか
毎回兵站のせいで攻勢が破綻してるなら解決策を用意しなかったのか

1916年にソンムで12km前進した時は補給が足りなくなったが
1918年のソンムで55km前進した時はそれほど凄まじい兵站分野の躍進があった事によるものなのか?