コロナウイルスから回復する過程がわからん

https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200228-00165191/
日本でスペイン風邪が確認されたのは、1918年、当時日本が統治中であった台湾に
巡業した力士団のうち3人の力士が肺炎等によって死亡した事が契機である。
そののち、同年5月になると、横須賀軍港に停泊中の軍艦に患者が発生し、
横須賀市内、横浜市へと広がった(速水,328)。
『それは軍艦「矢矧(やはぎ)」事件です。矢矧は呉を母港とする軽巡洋艦で、
 計469人を載せて航行中、1918年11月に立ち寄ったシンガポールで、
 一時上陸した乗組員によりインフルエンザウイルスが持ち込まれてしまいます。
 閉鎖空間である艦内でインフルエンザが爆発的に流行し、看護手、軍医も倒れ、
 最終的に306人(65%)が発症、うち48人が死亡(致死率16%)したというものです。』
当時、日本の報道でのスペイン風邪の俗称は「流行性感冒」である。
速水によれば、日本に於けるスペイン風邪流行は「前流行」と「後流行」の二波に別れるという。
「前流行」は1918年の感染拡大。「後流行」は1919年の感染拡大である。
ともあれ、このスペイン風邪によって、最終的に当時の日本内地の総人口約5600万人のうち、
0.8%強に当たる45万人が死亡した。
(中略)
このようにして、日本各地で猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に鎮静化した。
なぜか?それは内務省や自治体の方針が有効だったから、というよりも、
スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが、日本の隅々にまで拡大し、
もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだ。そしてスペイン風邪にかかり、
生き残った人々が免疫抗体を獲得したからである。

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水際防御に失敗し、パンデミックになったら
国民全員が感染して抗体を持つか、その前にワクチンが開発されるかしか鎮静化しようがない。