>>558
浦上崩れ悲惨なのは幕末-明治初期の4番崩れ
江戸時代はでうす教は仏教異流派扱いであったものが
(偶像崇拝を嫌った隠れキリシタンの一派は進んで踏み絵をしたし、幕府側も年貢を納めさえすれば余程でなければ摘発しなかった)
明治以降、隠れキリシタンはキリスト教徒と公認され
停止されずにいた異教徒禁令で棄教させるための手段を用いてよいことになり約3000人が島流しその後釈放されたが、600人ほどが死亡した