サイボーグ009とか狼少女ランのころはサイボーグの悲哀みたいなものが描かれててそのあたりが作品のテーマになったりもしたからサイボーグが人間であること(人間であったこと)に重要な意味があったからそのあたり一般にもある程度意識されてたけど
平成ライダーで改造人間捨てた前後くらいからそういう悲哀みたいなものは時代に合わなくなったのか全く扱われなくなってしまって、サイボーグとアンドロイドの違いも重要視されなくなってしまった感はあるが
作り手サイドの人間でそういうことしらないとかあり得るのかね
あるいはそのぐらい従来の作品作りに囚われない人じゃないと今風の話は書けないのか