https://www.ipsj.or.jp/magazine/9faeag000000pfzm-att/IPSJ-MGN581002.pdf
私と情報処理

慶應大学を中退し渡米した私は,両親にもらったスミス・コロナのタイプライターを留学先で
ずっと重宝しておりました.ところが卒業間際に,クラスメイトの一人がコンパックという会社が売り出した
PC なるものを買いました.タイプすると緑色の文字が画面にずらっと並び,自由に文章の修正や
入れ替えなどができる素晴らしい機械でした.
 卒業後,1986 年 2 月に富士ゼロックスに入社すると,全世界のゼロックスの事業所がネットワークに
繋がっていて,電子メールを送ったり,電子ドロワーで設計図を共有したりしていました.
でも 1992 年に部品メーカに移ってみると,パソコンが机の上にポツンと載っていました.
あのぅ,パソコンが繋がっていないみたいですが,と尋ねると,走ってきた総務のおばちゃんが
コンセントを揺さぶって,「大丈夫,繋がっていますよ」.
 ゼロックスの企画部にいたある日,9600bps という高速のモデムの価格がとうとう 100 万円を切って,
常務の決裁で購入できることになり,それを使って在宅勤務をやりました.おふくろが電話で,
「今日から息子が自宅待機なのよ」と説明していました.
 1996 年の選挙に 初出馬するときに,さあホームページを作らなきゃと言う私に,スタッフが
「誰がそんなもの見るの」.それ以来,ホームページやブログ,ツイッターは本人の趣味扱いになり,
今でも一人で全部やらされています.
随分遠くへ来たものだと思う反面,最近でもパソコンで書く申請書に枠線,罫線が引かれていたり,
エクセルのマス目一つずつに入力させて,印刷させて,押印させて,郵送させて,それを業者にデータ入力させて.
 そろそろおかしいことに,それはおかしいと一人一人が声を上げましょう.誰も声を上げ
なければ変えようがありません.声を上げても受け止める人がいないという人もいます.
だったら研究者から一人,参議院の比例区で国会に送り出せばよいのです.それが民主主義です.

河野太郎