>1893年、真珠養殖で宮古島をよく訪れていた中村十作という新潟出身の実業家や、
>沖縄から製糖技術の指導のために宮古島に来ていた城間正安などの協力を得ることで、宮古島や沖縄本島で多くの妨害を受けながらも宮古島の西里蒲(ニシザト・カマ 38歳)と平良真牛(タイラ・モーシ 35歳)の2人の青年は、
>東京で国会請願書 「沖縄県宮古島々費軽減および島政改革請願書」 を届けることができ、ついに10年後の1903年帝国議会は人頭税廃止を決めました。

寄りにもよって宮古の人間抗議行動が内地の人間の協力を得て現地特権階級及び沖縄本島の妨害に会いながら
というあの手のに都合が悪すぎるストーリー、そりゃ深入りしないわけだ