日本の練習機開発は技術開発的な貢献は大きかったけど
技術開発を最優先したから過剰スペックからくる不経済という問題を抱えている
T-1,T-2,T-4はすべてそんな感じで再生産とか発展型を搭乗させるのを阻む要因になっている

T-1はF-86によく似た後退翼機という練習機とした異例のスタイルで技術的意義は大きかった
だが練習機としてはT-33との差別化に失敗して併用する意義がイマイチ希薄になってしまった

T-2はまがりなりにも実用戦闘機F-1に繋がり日本初の超音速機という技術上の意義は大きい
だが練習機としては超贅沢な機体で高等練習機としての意義を早々になくなり比較的早く引退してしまった

T-4は日本初の国産ターボファンエンジンを搭載してF-2開発に繋がる複合材技術が用いられた技術的意義は大きい
だが中等練習機としは異例のハイスペック機になり用途に対する取得単価と運用経費はハイスペックゆえに経済的とは言えない機体になった

つまり空自の練習機は技術的には日本の航空機開発技術の基礎になる多大な貢献をしたが
純粋な練習機としては用途に対してハイスペックなので不経済な機体であり改良発展型を考慮できない状態になっている
ここで一部の人が主張するT-4改などは高等練習機としてすでに時代遅れで近代化するには相当な開発費が必要
中等練習機としてはハイスペックで不経済なので再生産する意義が見いだせない

これが純粋な練習機として開発される初等練習機との決定的違い
初等練習機はT-34の血脈がT-7/T-5まで続いている
中等・高等練習機は必要な技術開発の実地開発の場として利用されてきたので
耐用年数が過ぎるとそれ以上の利用価値があまりない
空自の練習機が寿命延長の補強改修をほとんどやらないのはそのため