少し真面目な話をするなら、マナーや作法にも成長・発展していく段階というものはあるし、それぞれの要素は多くの場合で並列するのだ。

「畳の縁を踏むのは無作法」というマナーを例に挙げるなら、元々は畳の縁がすり減るのを防ぐためのものであるな。…なお床下に野生のニンジャはいない。いいね?
ともあれ、他人の屋敷に招かれた際、室内調度にダメージを与える行為は避けたほうが好感度アップ、という経済的合理性が元々である。縁って意外と高いやつは高い。

そして「畳の縁を踏むのは無作法」というマナーが広く浸透すると、「マナーについての教育を受けていない人間」の選別が可能になってしまうわけだ。
これが合理性とは別個に存在する第二の存在理由となる。”教養分野の学習を受けている=金と素養と人脈がそれなりにある”って証明にもなるからの。

この合理性と認証との二つの側面はいつだって混同されがちなのだよ。さらに所作の統一、誤解誤認を防ぐためのテンプレ化、その他諸々の事情も噛んでくるので果てしなく面倒くさい。