>>426
>なろうの戦国時代物何件か読んだけど内政チートと称されるものが
>椎茸栽培!スコップ!基盤整備!の金太郎飴なのはなんとかからンかそうかならンか。

豊田有恒の「尾張名古屋異聞」が時系列的にその手の作品の走りになるかも知れませんね。

この短編は江戸時代中期に尾張名古屋の徳川宗春公の元に、時間犯罪者の手引きで昭和時代の経済学者が送り込まれるという話でしたが、
彼自身もタモリらに馬鹿にされる名古屋の現状を深く憂いており、歴史改変により名実ともに名古屋を江戸に代わる日本の中心にしてやる!!
という野望に燃えていました。

そして学者は宗春公の信任を得ると、早速お伊勢参りと芝居公認を核とした観光産業振興に着手。
長らく娯楽に飢えた庶民がお伊勢参りの名目で名古屋に押し寄せ、人と金の流れが格段に改善すると次は尾張名古屋の特産品を目玉にした
殖産興業に励んで更なる資本構築に踏み出すという段取りでした。

当時の日本は八代将軍吉宗による「超緊縮と倹約による財政再建」によって、消費は落ち込み景気も右肩下がりになる完全な悪循環に陥るも、
天下の徳川家の施策には誰一人異議を挟めぬ状態でした。 尾張名古屋の宗春公を除いては。

このまま消費刺激策と殖産興業による名古屋経済の強大化が続けば、宗春公の目の黒い内に名古屋が日本の経済的中心になる事も夢では
無かったでしょうが、異変を察知したタイムパトロールの介入により経済学者は元の時代に送還されてしまい、司令塔を失った宗春公の改革も
瞬く間に萎み、宗春公も失脚。

しかし経済学者が短い期間に成し遂げた名古屋経済の大活況はそのまま史実に組み込まれ、尾張名古屋に自由と繁栄をもたらした宗春公の
遺徳は末永く領民に称えられたというオチでした。