1940年末イギリスは日本の仏印進駐でシンガポール防衛に不安を覚え、
米にセレター軍港の使用を許可し艦隊の派遣を要請する。
米は空母1隻を含む機動部隊の派遣を決定し、
1941年1月に空母ヨークタウンに移動命令を出す。
ところが独巡戦シャル、グナ出撃のベルリン作戦が発動しヨークタウンの移動は延期、事態を見守る。
この独巡戦による大西洋の通商破壊により米は方針転換
3月に英に正式に艦隊派遣をしないことを伝え、
太平洋艦隊より戦艦を大西洋に派遣し大西洋重視になる。
これを受けてビスマルク出撃と同じ頃ニューメキシコ級3隻が真珠湾を出港し、
6月大西洋艦隊に移動が完了する。
大西洋への戦力移動により太平洋艦隊では戦略方針の見直しが行われ、
現有戦力では日本に勝てない、よって西太平洋は守勢とすることが決まる
日米開戦の場合は空母機動部隊によるヒットアンドウエイを基本とし、
日本艦隊をウエーク、ミッドウエイ近海に誘致し、
基地航空部隊支援の元で艦隊決戦を行うことになった。