0117名無し三等兵
2020/06/26(金) 16:06:17.39ID:4gmVlFb7>太平洋で騒いでたのはフィリピン利権のマッカーサーだけ 太平洋艦隊は1941年夏には防勢と決定
状況を整理するために経緯を箇条書きにしてみよう
1941年5月にはビスマルクが大西洋に進出。日本は当面の安定策を提案してきたので米大統領は戦艦三隻・空母ほかを大西洋に移す
1941年6月ごろ太平洋方面の米国戦略は守勢作戦。フィリピンの一時的失陥も認めていた
@ ここまで米国は太平洋では守勢の方針。しかし、ここから異なる
1941年06月22日 独ソ戦が始まる。これにより英国への圧力は減少し、その敗北は回避された。
1941年07月末 マーシャル参謀総長「フィリピン防衛は米国の方針である」と言明
1941年09月11日 「世界戦争に対する統合基本的戦略見積」が承認され、「フィリピン堅持」が決定される
1941年11月19日 レインボー計画五号修正第一号が承認。「フィリピン防衛をマニラ湾だけに限定せず全諸島に改める」
ハルノートへ
戦史叢書・中部太平洋方面海軍作戦<1> より
米国が太平洋で守勢の方針だったのは1941年中盤まで