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>太平洋で騒いでたのはフィリピン利権のマッカーサーだけ 太平洋艦隊は1941年夏には防勢と決定

状況を整理するために経緯を箇条書きにしてみよう

1941年5月にはビスマルクが大西洋に進出。日本は当面の安定策を提案してきたので米大統領は戦艦三隻・空母ほかを大西洋に移す

1941年6月ごろ太平洋方面の米国戦略は守勢作戦。フィリピンの一時的失陥も認めていた

@ ここまで米国は太平洋では守勢の方針。しかし、ここから異なる

1941年06月22日 独ソ戦が始まる。これにより英国への圧力は減少し、その敗北は回避された。

1941年07月末 マーシャル参謀総長「フィリピン防衛は米国の方針である」と言明

1941年09月11日 「世界戦争に対する統合基本的戦略見積」が承認され、「フィリピン堅持」が決定される

1941年11月19日 レインボー計画五号修正第一号が承認。「フィリピン防衛をマニラ湾だけに限定せず全諸島に改める」

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戦史叢書・中部太平洋方面海軍作戦<1> より

米国が太平洋で守勢の方針だったのは1941年中盤まで