金門砲戦(79年まで続いた方)で撃ち込まれたのは徹甲弾だと主張する知人がいるのですが、この話は本当ですか?
開戦初期はまだしも、後期になるとビラ入りの砲弾だったと聞きますし、炸薬を抜いてビラを入れた榴弾だと思っていたのですが、間違っていますか?
そもそも、何かを入れられる(今回ならビラ)徹甲弾ってあるんですか?

一応、Wikipediaの「金門砲戦」「徹甲弾」「榴弾」「砲弾」のページは読みました。