>>156
日本海軍は航空部隊の創設から20数年で組織がなくなったからパイロット上がりを空母艦長に据える明確な方針はなかった
しかしそうしようとした形跡はみえる、代表的な例は土浦航空隊司令を務めて自ら操縦も学んだ山本五十六が赤城艦長を勤めた
ミッドウェーで沈んだ四隻のうち赤城、加賀、飛龍それぞれの艦長はみな航空士官出身
全員ではないにせよ、可能な限り飛行士官か、航空隊勤務経験者をつけようとしたとは思う