>>68
ごめんうろ覚えでかくもんじゃなかった。救助作業で筏使われたのと話が混ざってた
正確には
20年の七月に「太田川のダムが破壊されたら40分で市内に洪水が押し寄せる」→竹筒を棕櫚縄で作った救命具を配布

元々は海軍に供出する予定で作ったものだったが海軍で不要になったので流言を受けて市民に配布された
ソースは広島原爆戦災誌

川が避難経路になったについては同じく原爆戦災誌と各種証言かな
計画でなく結果としてになるけれど……
暁部隊が引き潮で大型船が遡上できなくなるまで救助活動していたり
島嶼部から個人で船出して身内探しに来たりとしてる他、河原や土手を使って逃げてる
谷整二って方が広島原爆投下時における避難の実態他数本で詳しく書かれてる