「原爆投下は仕方なかった」という考え

――そもそもWGIPとはどのようなものでしょうか。
有馬:CIE(占領軍の民間情報教育局)が実施した作戦で、「極秘」とされた文書(のちに公開)にはその目的や内容が書かれています。
それを読んでいただくのが一番わかりやすいでしょう。

1948年2月の「記録用メモ」にはこうあります。
「敗戦の事実と戦争責任について、日本人の現在および未来の苦しみと窮乏の責任が軍国主義者たちにあることについて、
また連合国の軍事占領の理由と目的について、あらゆる階層の日本人にはっきりと理解させること」

このためにすでに第2段階までWGIPは実施されており、今は第3段階だ、とも記しています。また、翌月の文書にはこういう文章もあります。
「一部の日本人およびアメリカ人が、原爆の使用は『残虐行為』であると考える傾向をなくすこと」
「日本人が極東国際軍事法廷の判決を受け入れる心の準備をさせること」

原爆が一番わかりやすい例でしょうか。
言うまでもなく、原爆投下は市民を大虐殺した許されざる残虐行為です。

アメリカによる広島市民、長崎市民の大量虐殺で、戦時中であっても決して許されません。
当時の日本人でもそう感じた人は多かったのですが、これが反米感情に結びついては困る。
そのため時には検閲を用い、また時にはメディアを使って、彼らは「原爆投下は仕方なかった」という考えを浸透させることに腐心したのです。

その影響はいまでも目にすることができます。
たとえば広島の原爆被害についての資料館の名前は「平和記念資料館」です。
なぜ「広島原爆資料館」ではないのでしょうか。
これに限らず、原爆に関しては奇妙なまでに「平和」という言い換えが目立ちます。
これはWGIPによる押しつけの成果です。
長崎のほうは「原爆資料館」となっていますが、そこで公開されている被爆者のインタビューでは
「(原爆投下は)戦争を終わらせるためにしかたなかった」という声が数多く紹介されています。

そんな馬鹿な話はありません。これらもGHQによる心理戦あるいは言論統制の影響です。

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/07160605/?all=1