明治初期は酷いインフレの時代で物価高の中心地皇居に侍る近衛に直撃した
近衛は維新の功績から薩長土から選抜された精鋭だが算盤の上手な昔の同僚は
豪奢な姿で馬車で通るのに近衛は正月でも配給の一日6合の米と味噌塩の生活
そんな中で正月に特別配給を出すと伝えられ餅が出ると近衛に噂が流れ皆喜んだ

正月に餅は出たといえば出たのだが出たのは蒸し餅(薩摩藩が幕末に開発したパン)
大隈重信は飯も西洋と同じパン食にする計画を進めていてその一貫だった
パンが関係したが分からないが竹橋事件で殺しのリストNo.1が大隈重信だった