>>94
まず最初に一般的には日本の農民は戦時中に小作農である事を続けて
非現実的な数値の苦しい供出義務に従うよりも
小作農を辞めて町の工場で働きながら家庭の分食べられる程度の農業を営む事を望んだ
この為に日本本土の農業は戦争が続くにつれ勝手に自然と壊滅し特に都市部では食糧不足は深刻な状態になると思われた(備蓄は結構していたのですぐには尽きなかった)
また朝鮮では収穫量のほぼ全てを駐留日本兵が消費する程度の余裕しかなかった

この状況は東南アジア占領によって一旦改善された
東南アジアは世界の米の取引高の67%を占める国であった
東南アジアから供出された米は一時期日本本土の米の3/4に達した
しかし米を安く買い叩かれるだけの東南アジアは占領が長引くに連れ日本本土と似たような状態になり収穫量は減っていき都市部では飢餓状態が発生した
そして1943年以降はアメリカの海上封鎖によって必要な場所にも届かなくなり始めた

最後の望みは航路も最後まで比較的維持された満州だったが
ここからはどうやっても日本本土の需要を満たす事はできないが
「なるべく多くの食糧」を供出させ続けた

結論としてまとめると日本の農業政策は
本土においては全くの無策でありながら占領地からの収奪によってギリギリの線で維持され
大東亜共栄圏内を飢餓で壊滅させたという結果を産み出した
つまり後方なら食糧が潤沢にあると言う事は(東南アジア等で)局地的にはあったとしても全体としては余裕はなかった