>>201
>どこからそんな金が沸くんだ、って感じww

だって慶喜公は新政府が樹立し華族制度が発布されてからは爵位トップの公爵様ですからねぇ。

元々公爵や侯爵などの高位の爵位は大藩の元大名や維新に貢献した公家らに与えられる物だったから、
新政府にに恭順の意を示した大名らの頂点に立つ徳川家の元将軍が公爵に叙されない、政治的にも
バランスが取れなかったのですが。

ちなみに新政府の中核を成した薩長やそれに連なる雄藩出身の軍人や官僚の多くは、そんな家柄や
官位とは無縁の下級武士出身者が占めていたから、幾ら維新に大功があってもシステム上下級の
公家にしかなれないという不都合も抱えていました。

その辺のアンバランスさが是正されるのは、西南戦争に始まり日清・日露の戦役で将軍や政治家が
多大な功績を挙げ、それを持ってより高位の爵位を与えられてからなのですが。

その為当時の庶民には「大きな戦争が起きる度に華族様が増えるよ」と陰口を叩かれたりしました。