維新の関係者が何かにつけて持ち出してくる「既得権益」という言葉は目くらましのトートロジー(同語反復)だ。というのも、すべての権益は既得のものだからだ。では、どうして彼らはこんな見え透いたトートロジーを持ち出して「権益」を攻撃するのだろうか。

「既得権益」を敵視するのは「改革病」「改革至上主義」に陥った人間の特徴だ。彼らの目にはすべての権益が「本来なら公共に帰すべきものを不当かつ私的に独占している」利権に見える。というよりも、そういうレッテルを貼ることで「権益の付け替え」を促すことがの維新の政治的な底意なのだね。

当然のことながら、権益が権益であり続けることは社会の安定および行政の運用にとって不可欠な前提だ。仮に「不当に独占されている権益」があっても、それらは法的に適正な手続きを経た上で排除されなければならない。「既得権益だから」という理由でいきなり引き剥がすのは「暴力革命」だ。

菅総理の言った「前例踏襲で良いのか」も維新流のトートロジーだ。「前例」は「踏襲」を前提としているという、本来はそれだけの話だ。踏襲されている前例のすべてが悪であるわけではない。仮に「不毛な前例が有害な形で踏襲」されている場合も、法的に適正な手順を経て廃止されねばならない。

つまるところ、維新の狙いは、架空の市民を「既得権益層」と「無産階級」に分断してみせることで、自分たちが弱者の味方であるかのようなフィクション(英雄物語)を演出するところにある。そんなものにひっかかってはダメだよ。