学術会議は共産党の活動拠点だった
2020年10月09日 11:31
池田 信夫
http://agora-web.jp/archives/2048446.html
 日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で
 総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された
 状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、
 あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党に牛耳られる
 事態が続きました。

このF氏とは福島要一、「ある政党」とは共産党である。福島は1949年に農林省を退官したあと、
85年まで学術会議の会員をつとめ、原子力関連分野の委員として原子力に関する決議を出した。
彼はアカデミックなポストについていなかったが、当時は修士以上の研究者は誰でも投票できたため、
全国の共産党支持者を動員して36年間も会員を続けたのだ。

学術会議は1963年に原子力潜水艦の日本港湾寄港問題に関する声明でアメリカの原潜の寄港に反対し、
1967年には軍事目的のための科学研究を行わない声明を決議した。これらはいずれも共産党の方針だった。
このような政治利用が激しいため、普通の研究者は学術会議に関心をもたなくなった。

活動家に乗っ取られた学術会議は政府の諮問機関として機能しなくなり、
政府に答申したのは2007年が最後である。2017年3月には、軍事的安全保障研究に関する声明で
防衛装備庁の委託研究に反対した。これが安倍政権が人事に介入したきっかけだろう。